2009年11月19日木曜日

どぜう

国の東西を問わずうなぎは日本国中で食されるが、

関西ではあまりどじょうを食べる話は聞かない。

なぜと問われれば、

さあ・・余り食べませんな〜〜と答えるばかりで、

聞かれた関西人が困惑するかもしれない。

思うに、それはきっと関西のどじょうが、

関東のそれよりかなり泥臭いからというのが、

一番の原因のような気がする。

なぜかといえば、

琵琶湖ではアオコが発生するせいか、

シジミをみそ汁に入れると、

汽水湖である宍道湖のそれに比べ

いかに泥を吐かせても、

その泥臭いともかび臭いとも例えられる特有の臭いが抜けない。

それでも琵琶湖のシジミは、

佃煮や生姜炊きにしてよく売られている。

古来よりその身に、

薬餌効果のある事が知られているからかもしれない。

しかしそれに比べ、

どじょうにはそういった効果はあまり伝えられていない。

しかも身が柔らかいが故に佃煮にもならない。

その上身が小さく調理する手間が掛かり、

更にその難敵の臭いが抜けないものだから、

余り食卓へは普及しなかったのかも知れない。

同じ川魚でも北国ではあまりフナを食べない。

やはり手数をかけた割に泥臭さが抜けないからと思われる。

関西には琵琶湖という巨大な淡水の水瓶があり、

その恩恵で多彩な淡水魚を食する習慣を生んでいる。

多くは泥臭さを誤摩化す為に甘辛く煮詰め佃煮にするが、

それでも鮒はやはりそれ程美味い魚ではない。

もしなれ鮨にして食する習慣がなければ、

たとえ琵琶湖のニゴロ鮒でも、

これほどまでに珍重される事はなかったと思われる。

上質のうなぎは白焼きで食べても美味しいが、

ほとんどのうなぎは先に蒸すか焼くかの違いこそあれ、

東西を問わず串焼きにして甘辛く味付けする。

それに比べどじょうはうなぎのようにはいかない。

うなぎに比べどうしても身が柔らかく小さい。

しかも独特の泥臭さはどう調理しても消える事はない。

そこで味噌と牛蒡と合わせて調理する事によって、

牛蒡の泥臭さでどじょうの臭いを帳消しにする。

臭いを持って臭いを消すという調理法が考えられたに違いない。

ぐつぐつ詰まったその上に芹を載せ、

山椒を振り掛ければどじょう鍋の出来上がりである。

私はよく出来た食べ物だと思うのだが、

関西ではどじょうをこうして頂く習慣が無いようである。

最もかく言う私も子供の頃、

親が食するどじょう鍋を、

それ程美味いと思って頂いた記憶はない。

過日、妻が東京へ出張の折、

調理済みのどじょう鍋を、

土産にと持ち帰ったのを炊き直して頂いた。

その中身は見事にぐちゃぐちゃに身崩れしていたが、

味噌地立ての出し汁の中で、

崩れて漂うどじょうと牛蒡を食べるうちに、

ふと関西にはないこの食文化に思いを馳せたのだった。

小魚を佃煮にするのは、

その名の通り佃島が発祥といわれるが

それはきっと琵琶湖の小魚も、

同じ歴史を辿ったのだと思われる。

ところがこの中にどじょうは、

その仲間には入れてもらえなかった。

身が柔らかく荷崩れし易いのを敬遠され、

きっと佃煮も適さないからかもしれない。

雪の降る季節、

東北では鯉は甘辛い味付けで骨まで柔らかく炊いて頂く。

しかしよく脂ののったこの時期、

鯉は味噌仕立ての鯉コクにして頂くと、

じつに深みのある濃厚な味わいを醸し出す。

ところが関西では冬の一番寒い時期でも、

あまり鯉こくを食する習慣はないらしい。

甘辛く炊いた鯉でも骨まで柔らかくは炊き込まない。

きっとそこまで煮込んでも泥臭さが残るからかもしれない。

だから関西では味噌仕立ての鯉こくにしたところで、

なかなか美味しくは頂けないようである。

京都には江戸川という、うなぎ料理の専門店がある。

そこへ行けばどじょう鍋を頂けるが、

それが全て腹開きにして小鍋に並んでいる。

妻の東京からのお土産も同様だったが、

私が子供の頃頂いたどじょう汁も鍋も、

その身は丸ごとだったように記憶している。

鍋で煮込んだどじょうを丸ごと口に入れると、

どじょうの骨が歯にこつりと当たる。

表面のぬるりとした感触とこのこつりの骨は、

子供の頃余り美味しいとは思えなかったが、

今となってはこれらの感触が妙に懐かしい。

万人用に食べ易く、

開いて骨を抜いたどじょう鍋を頂いてみると、

口に含んだその身が、

歯にあらがうことなく頼りなげに崩れて行く。

すると、

どじょう鍋ってこんなんじゃなかった・・と、

記憶の襞に隠れていた感触と共に、

郷愁が鮮明になって蘇ったのだった。

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