私は元来お金儲けは悪と思っている。
面白い事に、
ギリシャ神話では泥棒の神と商売の神は同じである。
きっとこういった金銭感覚は、
農業を基盤にして形成された感覚であり、
農耕民族の文化であり基層でもあると思われる。
だからというわけではないが、
私は額に汗する事なく物を右から左に動かすだけで、
利ざやを稼ぐ行為を賎しい行為と思っている。
しかし、経済が世界を支配している今、
株や債券といったものを駆使し、
その利鞘で大金をせしめるという、
強欲を売りにするような商売が、
大手を振って世界を闊歩している。
その挙げ句、
お金は命の次に、
いやそれ以上に大切だと公言して憚らない人間が増えている。
今、アメリカには、
ファストマネーとスローマネーという言葉があるらしい。
ファストマネーとは麻薬の類いを売買して得る金銭で、
スローマネーとは会社に勤めて得る報酬を意味する。
ファストマネーは命がけである。
何しろアメリカは銃社会だから・・・。
その代わり簡単に大金を手に入れる事が出来るらしい。
ダウンタウンのギャング達の多くは、
そういった経済活動を健全とは思っていない。
なぜなら捕まれば監獄で暮らすことになるから・・。
しかしそういった方法で金銭を稼ぐ行為を止められない。
他に簡単にお金を得られる仕事がないから・・・。
まあ彼らのストリートギャングの勝手な理屈である。
報酬は元来額に汗して働いた者に支払われる。
そういう感覚こそが健全と思うのだが、
物流に代わって金銭取引が世界経済の主流になった昨今、
額に汗して報酬を得るという、
アナログな経済活動を侮る人間が増えている。
彼らをダウンタウンのギャングと同じ次元とはいわないが、
株や債券といった数字を駆使して大金を得るという、
現実の物流経済とは掛離れたビジネスが、
如何にも当たり前のように世界経済を支配し人と物を動かしている。
その挙げ句、そういった欲に振り回された経済活動の失敗の付けを、
実体経済に拘る者たちに払わせてしまうという、
如何にも理不尽な社会現象が出現してしまった。
有能であることは素晴らしいことだが、
そのことをひけらかす行為は下品である。
有能さは社会に奉仕してこそ、その能力が称賛される。
己の私利私欲の為だけにその能力を利用する事は賎しい行為である。
私はそれこそ人が人である為の最も大切な感覚だと思っている。
以前“私がお金を儲けちゃいけないんですか?”と、
報道カメラを前に問い返した男がいた。
彼は金儲けの才能があったらしい。
何しろ日本銀行の総裁までが、
彼の投資会社に金を預けたくらいである。
私は悲しい事にそのとき、
彼の問い掛けに対して何の反論も重い浮かばなかった。
しかし、今なら少しは応答できそうである。
智慧も才能もある人間が、
ひたすら金儲けに走る行為は賎しい事であると・・・。
そういった人間が大勢の人間を前にして、
金を儲けちゃいけないか?と問うのは、
もっと賎しくそれは社会悪に等しい行為だと・・。
確かに世の中きれい事では暮らせない。
いやきれいごとで生きていると、
足元を掬われ兼ねないのが人間社会なのかもしれない。
現に統計では戦争で命を落とす人間より、
自殺者の方がはるかに多いという数字が、
その現実を雄弁に物語っている。
実態とは掛離れた膨大な虚構経済に振り回され、
強欲が正当化されるような社会で、
お金は命の次に、いやそれ以上に大切などと、
公言して憚らない人間が巷に蔓延るような、
そんな社会はとても健全とは思えない。
確かに今の時代、
人が生きる為にお金は大切な存在には違いない。
しかし、人間の命とお金との間には、
何ものにも代え難い人間の尊厳という存在が、
幾重にも重層に折り重なっているのではないだろうか
それは時に愛情であり労りであり、叡智である。
そしてまた、
そういった存在に担保された社会が、
私たちの住む人間社会なのではないだろうか・・。
尊厳ある人間なら
目の前に置かれたパンを貪り食う前に、
ほんの少し立ち止まって考える。
はたして今、私がそのパンを独り占めし貪る行為が、
自らの人としての尊厳を傷つける、
取り返しのつかない事になりはしないだろうか?と・・。
私には強欲がまかり通る経済至上主義は、
信頼関係の崩壊した人間社会の象徴のように思える。
それはまた同時に信頼関係を構築できない人間社会が、
こういった強欲を是とする、
経済至上主義社会を生み出しているようにも思える。
この卵と鶏の負の連鎖を断ち切る為に、
少なくともこの日本という国の中で、
私達一人一人がどうすべきか、
農耕民族である私達には、
自ずとその方向が見えているような気がするのだが・・・。

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