秋田へ帰省するにあたって、
私は事前に誰にも連絡をとらなかった。
生来、同族とか同窓とか云う、
密着型の人間関係を忌避してきた。
その上、彼の地を離れて四十数年経ってしまっている。
然りとて連絡を取れば皆が気を遣い時間をつくる。
一人だけへの連絡というわけにもいかず、
それを考えると返って煩わしく思ったからである。
昼過ぎに秋田に到着した後、
墓参は私達夫婦だけで済ませる。
住職に法要を託し小一時間程で寺を後にした。
これで当初の目的は果たしたことになる。
その後、案件となっていた所用を済ませると、
ホテルに入りシャワーを浴びる。
いつの間にか時間はもう六時を過ぎていた。
二人でホテルを出るとその足で
そのまま歩いて辿れる飲屋街をぶらぶらとぬう。
案の定、キャッチバーの客引きがうろうろしている。
さすがに彼らも私達とは目を合わそうとはしない。
なんかな〜〜こればかりは全国共通・・。
岩牡蠣の看板に釣られてとある飲み屋へ入る。
料理人は三年ものに岩牡蠣と宣伝するが、
畔蛸で養殖された濃厚な岩牡蠣や、
和歌山、富山で頂いた三年ものに比べると、
とてもとてもその身は料理人と同じで如何にも幼い。
只、その店で売りにしていた比内鶏の串焼きは、
それが本当に比内鶏か定かではないにしろ、
それなりに濃厚な味の焼き鳥ではあった。
しかし、串焼きとも云えないその料金。
それを置いても醤油味の濃さは何とも辛い。
秋田というところは〜〜、
子供の時代から今一つ、
この地には馴染めなかった大きな理由かもしれない。
翌朝、ゆっくりと仕度を整え、
岩手の盛岡へ向かう。
その目的は椀子そば!
二十数年前、かの地を訪ねた折りに食べ損いその恨みを晴らそうという、
蕎麦好きの夫婦の長年の思いがそこにあった。
その後、花巻温泉の藤三旅館で一泊。
この湯治旅館、それこそ三十数年前からその存在を知りながら、
宿泊を果たせずにいた湯治温泉である。
岩手までは秋田自動車道から東北道と、
高速を乗り継いで三時間あまりの道行きである。
正規の料金を払うのは釈然としないが、
地道を走ってでは藤三旅館までの道のりが遠すぎる。
山間をうねるように走る秋田道、
やはり走行車両が極端に少ない。
平日の昼というのにまるで我が専用道のような光景である。
鶴岡から秋田に向かう山形道も高速上の車は疎らだったが、
その数倍の距離があるというのに、
遭遇した車の数は数える程だった。
それでも高速の恩恵にあずかった手前、
無駄とは云い難いが、
こう極端に走行車両が少ない光景に接してみると、
官僚と政治家の馬鹿さ加減が、
如何にも具体的に露呈していると思わざるを得ない。
走行車両は何とも疎らだが、
これら高速の視界に展開する風景は見事というほかない。
収穫の一歩手前に膨らみかけた稲穂の輝く田園風景。
緑豊かな山々の重層に織りなす変幻自在な景色。
日本という国の美しい自然を、
高速で走り抜ける爽快感は、
何ものにも替えられないと感じさせられたのは確かである。
東北道に入るとさすがに車は多い。
利用頻度だけで要不要を云うのは間違いかもしれないが、
それにしてもこの通行車両の数の差は、
あまにもとしか説明しようがない。
盛岡の椀こそば、
妻が事前に調べたそば屋へナビだけが頼りである。
よく裏切られて画面相手に罵声を浴びせるが、
このたびは無事到着することが出来た。
よしよし、くるしゅうない・・。
一階は普通のそば屋・・。
あれれ!と思いきや、
椀子そばは二階でと促される。
なるほど、階段を上がると大広間になっている。
そこに座机がずらりと並んでいる。
ちょっとわくわくきぶんである。
夢に描いた椀子そば、
注ぎ手の若い女性のかけ声が面白い。
あっそれ! よいしょ!などなど、
小声で調子を取って椀そばを注ぎ込む。
妻は四十五杯、私が八十五杯。
少し余裕を持って終了する。
何せそれ以上食べ続けたら運転が不可能になる。
それでも十杯一人前である。
入れれば入ると食べた当人が感心する。
そば屋を後に花巻温泉まで地道を走る。
盛岡の街は高層ビルが少なく空は広い。
その街を走ると、
ラーマン屋の看板がやたら多いが、
椀子そばの看板は何処にも見当たらない。
栄枯盛衰がこんなところにもあるのかもしれない。
盛岡から花巻まで三時間程の農村風景を走り抜ける。
強く感じたのはなだらかな平坦地の少なさである。
庄内平野を抜けてきた我々の目には、
未だ開拓地と思わせるような、
遊びや喜びの空間を感じられない、
山裾に広がる段々状の耕作地であり、
自然の厳しさを強く感じさせられるそんな風景だった。

0 件のコメント:
コメントを投稿