藤三旅館・・。
この旅館に宿泊したいと思ったのはもう三十数年前。
夫婦は温泉が大好きで、
結婚間もない頃から、
何かと理由をつけて温泉に向かって車を走らせていた。
記憶をたどって数え上げれば恐らく百軒は下らない。
とはいえ私達が泊まるのは皆、宿泊料金の廉価な宿。
一万円を目安に予約をするのが夫婦の不文律だった。
目的は温泉だから、
多少料理に問題があっても、
この料金なら妥協できるという考えからである。
インターネットの無かった時代、
温泉紹介の小雑誌を何冊か携えての旅が多かった。
そのモノクロの雑誌に、
老夫婦が古風な玄関脇に並んで写った写真と共に、
かの藤三旅館は紹介されていた。
いつか椀子そばを食べがてら、
ここへ泊まりにいこうね・・というのが、
長年、折に触れての夫婦の話題だった。
その思いが今回叶ったのである。
椀子そばを頂いた後、
盛岡を離れそのまま国道を走り、
道なりに花巻温泉街を横目に通り抜け、
更にやや奥まった道路沿いの谷間を下りた渓流沿いに、
藤三旅館はあった。
到着は午後四時過ぎで、
その玄関構えは、
その昔モノクロの写真でみたのと同じ構えの軒唐破風屋根で、
歴史を感じさせる温泉宿の風情を、
その佇まいに醸し出していた。
旅館は既に代替わりしているようで、
従業員は皆若くその気配りも手際よかった。
私達は三階に宿泊したが、
その部屋は昨年リニューアルされており、
古い設えの部屋をイメージしていた私は少し落胆した。
アルバイトの中居はそんな私を促すと、
そういうお客さんの為に残している部屋もあると、
わざわざ未改装の部屋に案内してくれた。
まさに三十年前に描いた湯治旅館がそこにあった。
谷沿いに立てられている旅館の割に、
館内は私が想像していたよりも広く、
隅々まで掃除も行き届いていた。
湯治ようの浴場は、
一般客用と湯治客用の宿舎の中程に位置しており、
そこを中心に各部屋が廊下沿いに並んで続いていた。
古くから知られているその大浴場は旅館の中心にあり、
廊下の位置から更に十メートルばかり階段を下りた岩場に、
楕円状にタイルで縁取りされた大きな浴場が設えてあった。
そこはこの旅館で私がどうしても浸かりたかった浴槽の一つだった。
しかしその浴槽は想像より深いもので、
深いところで150cmもあり、
本来混浴のところを、
時節柄女性専用に時間割りをしており、
そこで勇んで入浴しようとした妻が、
溺れそうになったと驚く程であった。
お湯はやや熱めで長湯は出来ないが、
その横に少し離れてぬるい壷湯があり、
人によってはそこで休みながら、
何度となく湯治が出来るように配慮されていた。
温泉は四種類あると説明されたが、
その中心の深く熱めの湯殿が圧巻で、
確かに川の瀬が覗ける渓流沿いの湯殿もあるにはあるが、
全ての印象はこの深く谷底に下りるような、
楕円形の立ち湯ばかりが記憶となって残っている。
昼に椀子そばを食べ過ぎたせいで、
旅館の食事はほとんど手つかずのまま終えてしまった。
青森から来ているといった若い中居は、
この旅館の料理は量が多すぎるといってくれたが、
折角の料理が何とも勿体ないことになった。
その罪滅ぼしというわけではないが、
朝食だけはしっかりと頂き、
折角遠野が傍にあるのだからと、
少し北に戻って遠野を訪ねた。
遠野の駅周辺は奇麗に整備され、
語り部の館のような建物が散見されたが、
どれも子供騙しの演出ばかりで、
いずれこの街を維持することに経済的に無理が生じるのではと、
老爺心ながら先を心配する風情だった。
それでも何か記念になるカッパの作り物でもと思い、
少し離れたカッパ淵に立ち寄った。
案の定、周辺はカッパの三文字だけが踊っているばかりで、
古びた寺と意味不明の立て札だけの、
のどかな田園風景を散策することになってしまった。
この三日間、
三食丸々摂取したせいで、
夫婦はもう極端に食欲が減退していた。
で、その日は昼食を抜く。
お陰でその晩宿泊した鬼首温泉の食事は、
その味の濃さに土地柄だからと頷きながら、
どうにか頂くことが出来たのだった。
その鬼首温泉を地図上で発見した折、
随分山の中の寂びたところだろうと勝手に思い込んでいたが、
豈図らんや、
宿は宮城から山形へ抜ける国道沿いにあった。
その昔、温泉も宿も川沿いだったらしいが、
国道を通すにあたってその地を譲り、
今は国道を挟んでその反対側に宿は建てられていた。
旅館のサービスは褒められたものではないが、
料金は実に廉価で、
しかも温泉は重曹泉や硫黄泉といった、
全く異なる泉質の湯殿がそれぞれ4湯湧いており、
それだけでも楽しめる温泉宿ではあった。
翌朝、私達はやや早めに出発した。
ああ松島や!の遊覧船巡りがその目的であった。

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