2009年9月14日月曜日

東北紀行 その六 寒河江から那須塩原へ

東北へ旅立つ数日前、
東大路に画廊を持つSさん夫婦が我が家を訪れた。
この九月頃に個展をやりたいと、
昨年度から妻が相談していたからで、
その日程の打ち合わせのために立ち寄ってくれたのだった。

妻はしかしこの夏までに大作を二点仕上げ、
Sさんの画廊に出展する小品の制作にまで、
作業の時間が割けなかったことを詫びた。
そして、個展は二ヶ月ばかり先延ばししてもらうことに落ち着いた。
その折、この八月の最終週に夫の墓参を兼ねて、
東北旅行を計画していることを話したのだった。

Sさんは妻の申し出を快く受諾してくれ、
その頃なら彼は山形の寒河江に滞在しているから、
そこで紹介したい人物がいるので、
是非寒河江に立ち寄るよう勧めてくれた。

松島を離れ高速道に載ったところで妻が携帯を取った。
直ぐに応答があり待ち合わせは夕刻の五時頃と決まった。
東北道から山形自動車道を繋いで二時間あまり。
四時過ぎに寒河江のインターチェンジを下り、
ホテルに到着したのは四時を少し回った頃だった。

ホテルまで市街地を三十分あまり走ったが、
寒河江市内は車も人影も思ったより疎らで、
喧噪の松島から移動して来た我々にとって、
如何にも閑散とした街の風景は、
まるで祭りの後のような印象であった。

宿泊したホテルはその昔、
温泉旅館として営業していた歴史があり、
ホテル専用の源泉があるということだった。
含んだ鉄分で少し赤茶けた湯質はやや固めの肌触りだったが、
市内にあるホテルで温泉に恵まれたのは、
何より有り難いことに違いなかった。

Sさんが是非紹介したいというご夫婦とは、
彼が滞在中に食事をとる料理屋で待ち合わせた。
店の料理は山形と云う土地柄にしては薄味で口に合うと、
Sさんが薦めるように会席風に飾られた食材が、
その一品一品のボリュームの多さに感心させられたものの、
総じて味は控えめで酒を交えて美味しく頂くことが出来た。

寒河江に住むというそのご夫婦は私達と同世代だった。
私が一年間だけ山形の第一小学校へ通ったことを告げると、
奥さんが自分は第四小学校だったと云う。
二つの学校はすごく近いと彼女は細かに説明したが、
私の記憶は一年生の一年だけで、
いかにたどろうとしても全てがもうおぼろげだった。

料理屋にせよ焼鳥屋にせよ、
繁華街に纏まってあるわけではなかったが、
皆ホテルから歩いてたどれる距離内にあった。
特に焼鳥屋は一見それとはわからない、
板塀の造りの民家の中にあり、
土地の人間でなければおいそれと探し当てられないと思えた。

カウンターだけ二十席程の店内は混雑していたが、
肩を寄せあい六人分の席をどうにか確保することが出来た。
店の焼き鳥がうまいことに異論はないが、
そこで出されたトン足の煮込みは、
呼称に捕われた先入観を払拭する程のまさに絶品だった。

とろとろに煮込まれたそれに独特の臭みは一切なく、
一口頬張ったその時の食感はまさに新鮮なマグロの目廻り、
上質なコラーゲンそのものだった。
時間をかけて薄味に煮込んだそのコラーゲンの固まりに、
初めは臆していた妻でさえその味を絶賛した程であった。

酒が進み、話が盛り上がり、
ここには、
ラ・フランスとサクランボ以外何もないと、
ご主人が寒河江の寂れようを嘆いた。
都市生活者が必ずしも豊かとは云えない現実を知って尚、
寂れた地方都市は、
そこに住む住民にとって、
思う程には歓びの少ない地なのかもしれない。

翌日、Sさんの案内で、
寒河江市郊外にある紅花の栽培庭園を見学する。
土地の豪農の屋敷跡を改装して、
その一部で観光用の紅花を栽培していた。

屋敷内で働く婦人達は土地の農家の組合から派遣された方々で、
妻が学生の勉学に使いたいと申し出ると、
彼女達は以外にも快く紅花の種を分けてくれた。
つい最近まで紅花の種が門外不出だったことを思うと、
日本という国の構造的な価値基準の大きな変化を、
目の当たりにする思いであった。

Sさんはそのまま高速を使い、
時間をかけて京都まで走る予定のようだった。
しかし私にとって800キロを超える距離は負担である。
そこで私はS夫婦に途中の那須辺りで一泊して、
それから帰途につきたい旨を申し出た。

その日は土曜日で予約のない宿泊は難しいと思えた。
だが、時期が幸いしたのか塩原温泉の宿に空室が見つかり、
さほど労する事無く部屋を確保出来たのだった。
その時既に昼の二時を過ぎていたが、
寒河江から塩原温泉までは、
東北道を使えば三時間程で移動出来る距離である。
夕刻の五時過ぎ、我々の車は那須塩原の宿に到着した。

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