東北へ旅立つ数日前、
東大路に画廊を持つSさん夫婦が我が家を訪れた。
この九月頃に個展をやりたいと、
昨年度から妻が相談していたからで、
その日程の打ち合わせのために立ち寄ってくれたのだった。
妻はしかしこの夏までに大作を二点仕上げ、
Sさんの画廊に出展する小品の制作にまで、
作業の時間が割けなかったことを詫びた。
そして、個展は二ヶ月ばかり先延ばししてもらうことに落ち着いた。
その折、この八月の最終週に夫の墓参を兼ねて、
東北旅行を計画していることを話したのだった。
Sさんは妻の申し出を快く受諾してくれ、
その頃なら彼は山形の寒河江に滞在しているから、
そこで紹介したい人物がいるので、
是非寒河江に立ち寄るよう勧めてくれた。
松島を離れ高速道に載ったところで妻が携帯を取った。
直ぐに応答があり待ち合わせは夕刻の五時頃と決まった。
東北道から山形自動車道を繋いで二時間あまり。
四時過ぎに寒河江のインターチェンジを下り、
ホテルに到着したのは四時を少し回った頃だった。
ホテルまで市街地を三十分あまり走ったが、
寒河江市内は車も人影も思ったより疎らで、
喧噪の松島から移動して来た我々にとって、
如何にも閑散とした街の風景は、
まるで祭りの後のような印象であった。
宿泊したホテルはその昔、
温泉旅館として営業していた歴史があり、
ホテル専用の源泉があるということだった。
含んだ鉄分で少し赤茶けた湯質はやや固めの肌触りだったが、
市内にあるホテルで温泉に恵まれたのは、
何より有り難いことに違いなかった。
Sさんが是非紹介したいというご夫婦とは、
彼が滞在中に食事をとる料理屋で待ち合わせた。
店の料理は山形と云う土地柄にしては薄味で口に合うと、
Sさんが薦めるように会席風に飾られた食材が、
その一品一品のボリュームの多さに感心させられたものの、
総じて味は控えめで酒を交えて美味しく頂くことが出来た。
寒河江に住むというそのご夫婦は私達と同世代だった。
私が一年間だけ山形の第一小学校へ通ったことを告げると、
奥さんが自分は第四小学校だったと云う。
二つの学校はすごく近いと彼女は細かに説明したが、
私の記憶は一年生の一年だけで、
いかにたどろうとしても全てがもうおぼろげだった。
料理屋にせよ焼鳥屋にせよ、
繁華街に纏まってあるわけではなかったが、
皆ホテルから歩いてたどれる距離内にあった。
特に焼鳥屋は一見それとはわからない、
板塀の造りの民家の中にあり、
土地の人間でなければおいそれと探し当てられないと思えた。
カウンターだけ二十席程の店内は混雑していたが、
肩を寄せあい六人分の席をどうにか確保することが出来た。
店の焼き鳥がうまいことに異論はないが、
そこで出されたトン足の煮込みは、
呼称に捕われた先入観を払拭する程のまさに絶品だった。
とろとろに煮込まれたそれに独特の臭みは一切なく、
一口頬張ったその時の食感はまさに新鮮なマグロの目廻り、
上質なコラーゲンそのものだった。
時間をかけて薄味に煮込んだそのコラーゲンの固まりに、
初めは臆していた妻でさえその味を絶賛した程であった。
酒が進み、話が盛り上がり、
ここには、
ラ・フランスとサクランボ以外何もないと、
ご主人が寒河江の寂れようを嘆いた。
都市生活者が必ずしも豊かとは云えない現実を知って尚、
寂れた地方都市は、
そこに住む住民にとって、
思う程には歓びの少ない地なのかもしれない。
翌日、Sさんの案内で、
寒河江市郊外にある紅花の栽培庭園を見学する。
土地の豪農の屋敷跡を改装して、
その一部で観光用の紅花を栽培していた。
屋敷内で働く婦人達は土地の農家の組合から派遣された方々で、
妻が学生の勉学に使いたいと申し出ると、
彼女達は以外にも快く紅花の種を分けてくれた。
つい最近まで紅花の種が門外不出だったことを思うと、
日本という国の構造的な価値基準の大きな変化を、
目の当たりにする思いであった。
Sさんはそのまま高速を使い、
時間をかけて京都まで走る予定のようだった。
しかし私にとって800キロを超える距離は負担である。
そこで私はS夫婦に途中の那須辺りで一泊して、
それから帰途につきたい旨を申し出た。
その日は土曜日で予約のない宿泊は難しいと思えた。
だが、時期が幸いしたのか塩原温泉の宿に空室が見つかり、
さほど労する事無く部屋を確保出来たのだった。
その時既に昼の二時を過ぎていたが、
寒河江から塩原温泉までは、
東北道を使えば三時間程で移動出来る距離である。
夕刻の五時過ぎ、我々の車は那須塩原の宿に到着した。

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