2009年6月2日火曜日

知識とお金

日本の教育システムは、 
よく詰め込み教育といわれていた。 
私達が子供時代、 
教師は取りあえず覚えさせる。 
これが基本だった。 

私はそれら全てが不思議だった。 
本を読めば分かる事なのに、 
教師は勿体をつけ、 
教えてやっているという態度で予習復習を強いる。 
母親もまたそれが当たり前のように振る舞っていた。 

面白い事に、 
私の母は私をジャン.ジャック.ルソーの著作、 
エミールのように自由に育てたかったようである。 
確かに小学校へ入るまでは自由気ままに? 
まあ我が侭いっぱいに甘やかされて育った。 

恐らくこういった子供が教室に一人いると、 
教師は困った事と思う。 
しかし一年のときの担任は優しく鷹揚だった。 
勝手気侭な私を教壇の一番前の椅子に指定した。 
隣にはとてもおしとやかな女子生徒。 

きっとそれが効を奏したのかもしれないが、 
私はその教師にこよなく愛された。 
決してエコヒイキというわけではなく、 
その教師も生徒達に慕われていた。 

途中、その担任の教師は子供を産み、 
時にはその子供を連れて学校に通っていた。 
その赤子を用務員室で、 
生徒を数人ずつ呼び寄せ触らせてくれた記憶が、 
柔らかな日差しの中にいるような、 
心地よい思い出となって記憶に残っている。 

この日本という封建国家でルソーの描く、 
自然主義的な教育論が通用するはずも無く、 
二年生で転校した途端に担任との折り合いが悪くなり、 
私はそれから数年間、暗黒の時代を経験する。 

登校をぐずる私に手を焼き、 
そこで母親は自分の信望したルソーの教育論が、 
日本の教育システムには向かないと知ったのかもしれない。 
母親のそういった方向転換はしかし、 
幼い私には裏切りにしか思えなかった。 

三つ子の魂百までもとはいわないが、 
幼年期に一度味を占めた自由奔放に生きる日々の、 
めくるめく程の芳醇な思い出は、 
恐らくもう私の脳にしっかりと、 
組み込まれてしまったようである。 

私が恐らく金銭に無頓着になったのは、 
こういった自分の心を最も豊かにする、 
自由で解放された人生のその豊かで芳醇な味わいが、 
とても金銭では購えないと、 
子供心にも分かっていたからかもしれない。 

お金も知識も確かに、 
生きてゆく上では必要欠くべからざる存在である。 
しかし知識も金も、 
脳と懐に詰め込めるだけ詰め込めば、 
それで人生が安楽という保障はなにもない。 

それらは共にどう使うかによって、 
その人生を豊かにみし貧しくもする。 
いかに大金持ちでも、 
そのお金を己の享楽に費やすばかりでは、 
決してそれは豊かな人生とは思えない。 
いかに豊富な知識があっても、 
それが故に他人を見下すようなことに使っては、 
きっとその人生から潤いのある豊かさは生まれない。 

よく銀行マンや証券マンから、 
聖徳太子は寂しがり屋といった喩え話を聞く。 
だから貯めろという気持ちは理解できる。 
が、しかし、お金のない人間には、 
お金がないという緊張感がある。 
それはお金をせっせと貯めるよりも、 
遥かに健康によいのではないかと私は反論したい。 

私は幸か不幸か、 
聖徳太子にはあまり愛されていないようである。 
御陰さまで金銭的に豊かというにはほど遠い、 
慎ましやかな日常の中に日々を過ごしている。 
それ故に病の方から避けてくれるようである。 
というより病気になんか罹れないといった緊張感の中に、 
日々我が身を委ねているというのが正しいのかもしれない。 

よくマスコミで、 
月々何十万円の収入があって初めて、 
人間らしい生活が出来るといった報道がされる。 
その金額を耳にする度に、 
なぜそれだけの大金が、 
老夫婦に必要なのかと首を捻る。 

妻が教える短大で、 
副手の給料が十万円を切るという。 
確かに貧弱な俸給には違いない。 
しかし生徒の口からその額が低過ぎて、 
それでは生活が出来ないという言葉が出るらしい。 
私の金銭感覚が間違っているのかもしれないが、 
学生なら今の社会環境で十万円も手に入れば、 
左うちわで生活できると思うのだが・・。 

私は何よりも自由をこよなく愛している。 
自由に考え自由に行動できるのなら、 
そこがたとえどんな過酷な自然環境だったとしても、 
そこから数知れぬ程の豊かさを手に入れる自信がある。 

幸い今の時代、 
自分の中にそれほど知識を詰め込まずとも、 
コンピューターにネットという強い味方が存在する。 
困った時はパソコン頼みが良いことがどうかは分からないが、 
知識に縛られる事無く自由に思考を巡らすには、 
この方が勝手のいい環境のように思える。 

お金など最低限衣食住に足るだけあれば、 
それで日々の生活など間に合うというのは、 
今の日本ではあまり受け入れられない考えかもしれない。 
それでも私は、只足るを知ることこそが、 
人生をより豊かに過ごす最良の選択だと思っているのである

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