2009年6月16日火曜日

生きた歴史の証明

ご存知のように、

自己の存在を証明するには困難を極める。

いや未だにその存在を論理的に証明できた哲学者は、

存在しないと断言してもいいかもしれない。

 

私達日本人の多くは犯罪歴でもない限り、

比較的簡単にパスポートを取得できる。

自分がこの国に生きた証を証明する戸籍の取得も、

現実にはそれほど難しいことではない。

 

しかし現在なお、

中国には自らを日本人と知りながら、

日本人と認められないまま、

現地での生活を余儀なくされる方々が多数いるようである。

彼らは終戦直後の六十数年前に中国に置き去りにされ、

そのままほとんどが中国人として育てられた方々である。

 

中には運良く日本人であることが証明され、

現在は日本人としてこの国に居住している人もいる。

しかし、そういった方々の中にも、

自らが育った地での存在証明を取得するのが

今は実に困難になっているようである。

 

文化大革命と云う嵐の中で、

多くの中国人はもとより、

残留孤児と思われる方々の在籍証明の書類までもが、

ほとんど失われてしまったのがその原因のようである。

 

これはしかし何も中国だけの問題ではない。

社保庁といった組織ぐるみの怠慢によって、

多くの国民が過去に納めた納付金が消滅したことは、

まだ記憶に新しいことである。

この社保庁の問題などは、

人の生きた歴史などかくも簡単に消し去ることが出来るという、

まさに格好の実証例と云えるかもしれない。

 

一度失われた過去の個人の歴史を、

再び証明することがいかに難しいか、

今の社保庁の対応を見るだけでも、

よく理解できるのではないだろうか・・。

 

この社保庁の問題に限らず、

相続手続きを自分で処理しようとしたところ、

所有者の戦前の戸籍証書の紛失により、

以後の手続きが不可能と知り、

最後の手続きを行政書士に依頼した経験がある。

 

その時は戦争による戸籍の紛失証明という、

素人では不可能な書類作成が、

彼らの利権と思って手続き料を支払った。

しかし今思い起こしてみると、

自分だけのことならいざ知らず、

親の代にまで遡ると、

この日本という国でも大戦を挟んでいるがために、

その証明が困難な例はかなり存在しているようである。

 

先日偶然にもテレビに流れた残留孤児の番組を見て感じたのは、

彼が娘とともに中国の地方市役所を訪れて、

自らの戸籍が失われていることを知った時、

彼の表情からはそれほど強い喪失感は感じられなかった。

それは恐らく彼が既に得ている日本人であるという証明が、

背景となって彼の心の支えになっているからのように思えた。

 

確かに彼が中国に存在したという書類上の証明は失われたが、

そこで出会った高校時代の学友や、

幼年期に育った地域の幼なじみと交流を通じて、

彼自身の生きた現実の歴史を、

目の前で娘に証明できたことは、

恐らく戸籍証明を得ることよりは遥かに重い、

彼がそこに確かに存在したという、

確かな証明となったに違いなかった。

 

中国人として育てられた彼が、

文化大革命の最中であるにも拘らず、

北京大学を受験した際、

その事実を知る中国人に嘘つきと叱責されたからとはいえ、

自らを日本人と記載して大学への入学を拒否された。

 

それが故に、

肉体労働者として働かざるを得なかった彼の過去を知り、

私達がいつまでも引き摺っている、

東大紛争という嵐の中で失った青春の歴史など、

如何にも些細でつまらないものに思えてしまう程、

彼が残留孤児として中国で生きた軌跡は、

とてつもなく深い闇の中にあることを、

否応もなく知らされたのだった。

 

自己の歴史を辿ることは、

生きた軌跡を証明することであり、

同時に書類上にある戸籍証明とは違った、

自己の確かな存在の歴史を確かめられるようである。

 

戸籍という国家システムに依存する自分の存在証明が、

例えば世界大戦や中国の文革と云った国家的混乱の中では、

かくも簡単に消失するというのが紛れもない現実である。

それでも人はこうして、

自分の生きた軌跡を国家に依存しながら、

人は自らが生きて辿った軌跡の思い出とともに、

その存在を確認しながら生きる以外に術はないのである。

 

今日本人は自らの活動の場を世界中に求め、

新しい地で自らの歴史を造り上げている。

かりそめにも平和が続く今の時代、

幸いにも戸籍を失というようなことには至っていないが、

それがいつまでも保障されるわけでもない。

 

この如何にも脆い国家システムのもと、

この国に縋らざるを得ない危うさの中で私達は生きている。

同じ日本人でありながら、

他国で残留孤児といわれながら阻害されるような人生をおくり、

親の地で自己の存在証明すら出来ないような人々が、

これから先、

二度と再び現れないことをただ祈るばかりである。

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