誤解があると思ったり、
誤解されていると感じたりすることは間々ある。
しかし大抵の場合、
敢えてその場で誤解を解こうとはない。
その労力を考えて断念するのである。
麻生はんかて
君たち僕のことちっとも分かってないじゃないか!
そんな顔してぶら下がりの連中を見てる。
彼は正直だから思ったことが顔に出る。
だけどいちいち説明しようとしない。
言葉の知識が不足している彼は、
説明することによって更に誤解を生むことを、
自らの少ない経験値でいやという程知らされた。
だから敢えて補足説明をしようとしない。
むしろ言葉は控えめに少なく話し、
後は勝手に解釈しろ!
という態度が見え見えである。
総理大臣も智慧不足、
ぶら下がりもちょっとお脳が足りない。
これで報道が誤解少なく伝わると
そう思って見る方がピント外れというものである。
それでも社会は少しの混乱で済んでいる。
何となれば、
彼らの行動がそれほど市民の必要とする情報と、
利害が一致しないからである。
もっといえば、
いまの総理の存在など、
この国にあってもなくても、
それほど影響が無いということを意味している。
この事実を喜ぶべきか悲しむべきかは、
なかなか判断しかねる。
権力者を必要としない国なんて、
まるで原始共産主義の国家みたいで、
考えようによっては牧歌的でのんびりした平和な国である。
地上にこの国だけしか存在しないというなら、
ひょっこりひょうたん島の島民も悪くないが、
なかなか現実はそうはいかない。
狭い海峡を挟んだ向こうには、
直ぐにでも戦争を初め兼ねない、
北朝鮮という一昔前の日本がいる。
更にその北隣にはどさくさに紛れて、
隙あらば領土拡大を図る昔の野蛮国もいる。
そしてその南には十二三億の人口を有する、
今や軍事大国といって憚らない一党独裁の国が、
過去の栄華を取り戻そうと必死になっている。
彼らにとってひょうたん島の住民など、
きっとちょろいぜ!
くらいにしか考えていない。
何しろ主義も主張も理念も哲学もない、
烏合の衆の集まった島国なのである。
アメリカと我が国の利害が一致すれば、
何かとバーター取引に持ち込んで、
後は哲学も思想もない烏合の衆の島国など、
簡単に我が方の言いなりになる。
そう考えているとしても何ら不思議はない。
誤解を解消して、
少しでも相互理解を深めようとするなら、
きっとお互いの持ち合わせる多くの知識や情報と、
其れを摺り合わせる膨大な時間が必要である。
それでもきっと誤解や曲解が無くなることはない。
だとしても、そういった作業が必要なのは、
お互いを認め合おうと努力したことを、
互いが認識し合うことが必要だからである。
会話を交え情報を交換することは、
認識を共有するのに必要な作業には違いないが、
その他に理解し合おうとするお互いの誠意が、
その場でどれほど表明されたかが重要なのである。
今の国会談話室のぶら下がり報道には、
残念ながらそういった風景が全く見られない。
あの風景を眺めていると、
権力者と其れにぶら下がるマスコミとの間にさえ、
疑心暗鬼が蔓延っている。
ましてやその報道に接する以外に、
情報収集の方法のない市民との間に、
信頼関係など生まれようもないのは、
致し方のない現実かもしれない。
今はまだアメリカが、
権力も軍事力も弱体化したとはいえ、
曲がりなりにもこの地上でのプレゼンスは、
他国の追随を許してはいない。
お陰様で属国民の身としては、
こんな無秩序と云える環境でも、
表向きだけはなんとか国家と認められてはいる。
まあアメリカの金庫番くらいの、
プレゼンスはあるのかもしれない。
日本のマスコミに出る国会議員の中には、
よく日本が外交交渉で置いてきぼりになる?
などといった内容のことを発言する者がいる。
アメリカとの付き合いを
まるですまじき宮仕えとでも思っているのだろうかと、
思わず失笑してしまう。
まあこういった国家の何たるかの認識どころか、
その基本思想を疑ってしまうような議員が、
大きな顔で国会を闊歩している現状を眺めると、
発言の誤解や曲解と云った問題以前に、
前提となる思想や理念が彼らにあるのかどうかを、
初めに疑って掛からねばならないというのが、
残念ながらこの国の政治の現実なのかも知れない。

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