私は若い頃、
とある飲み屋のカウンターで、
同席した初老のヤクザ風の男に
“あんた、右翼の若旦さんにみえる”
と云われた事がある。
男はなぜ私を見てそう思ったかまでは説明しなかったし、
私も敢えてその理由を問い返さなかった。
ジーパンにTシャツ、
くしゃくしゃ頭の若者に向かって、
右翼はないだろうと思いながらも、
暫くはそれがどういった理由からかは、
どうしても解明できなかった。
しかしある時アルバイト先で、
喧嘩っ早いボクサー崩れの若者が、
私に面と向かって、
あんたにはちょっと一目置いていると、
真剣なまなざしで云った事があった。
どうして?と尋ねると、
彼が説明するには私の右目蓋と左目蓋の傷は、
ボクサーでも強い奴しかできないと、
真面目な顔で私の傷を解説してくれた。
その時私は敢えて傷の由来を説明する事無く、
笑ってお茶を濁したが、
実はこの両目蓋にできた傷は、
彼の思いとはまるで異なった、
それぞれ痛ましくい歴史を背負っているのである。
その一つ、右の目蓋と眉毛の間にできた傷は、
思い返えせば五十年余り前、
小学校へ向かう道すがら、
何人かで追いかけっこを初めて間もなく、
その気配にまるで気が付く間もないまま、
対抗して走ってきた自転車に、
ものの見事に正面衝突してできた名誉?の負傷である。
“グワ〜ン”という、
額への衝撃とともに気をうしなってしまった私は、
再び気が付いた時はもう医務室で横になっていた。
その傷何針縫ったかまでの記憶は無いが、
医務室で鏡を見せられ、
顔面が見事に血に染まっていた光景だけは、
しっかり記憶の中に居座っている。
今思えばこの傷、
目の上一センチ程にあるしっかりした傷である。
あの衝撃がもし眼球に直接来ていたらと想像すると、
背筋に冷たいものが走る。
傷は確かにしっかりと残っているが、
それが理由で不利益を受けるような事も無く、
考えようによっては、
この程度で済んでむしろ運がよかったとさえ思っている。
今一つは京都に来てからのもので、
当時住んでいた岡崎の下宿屋の若旦那から、
近くのアリーナというスケートリンクに誘われ、
その折に負った擦過傷の痕跡である。
浪人時代の事で、
運動不足の事などすっかり忘れ、
少し調子に乗って滑っているうちに、
同走の誰かと軽く接触してバランスを崩した。
転倒は免れたものの、
軽く擦っただけと思った左の目蓋が、
7針縫う程の傷になってしまったのだった。
この二つの傷がしかし、
思わぬところで、
私ばかりか呑み仲間の助けにもなった。
ボクサー崩れの少年が云うように、
喧嘩をしたがるような連中は、
相手の顔より目蓋周辺の傷跡を見るらしい。
彼らにしてみれば、
その傷の由来など知りようもない。
しかし、そういったところに傷のある相手には、
ボクサーかあるいは喧嘩になれたような奴と、
どうやら相場が決まっているようなのである。
私は子供のときはいざ知らず、
喧嘩のような肉体のぶつかり合いとは、
ほど遠いところにいつも身を置いていた。
しかし友達同士が集まり、
酒を一緒に呑むようになると、
なぜか絡まれ喧嘩に巻き込まれるような奴が、
必ずや一人二人混じるのである。
そんな時私に付いたこの目蓋の傷が、
相手を冷静に導く特効薬になったようだった。
人生何が災いするか幸いするか、
本当に分からないものである。
小学時代に付けた傷と、
二十歳前後に付けた傷がタッグを組んで、
争いの仲裁に一役買ってくれたのである。
私が右翼の若旦さんと呼ばれたのは、
どうやらこの両目蓋の傷が原因らしいと、
そのうちに理解はしたのだが、
今思うと彼は私の目蓋の傷を見て、
余程無鉄砲な若造のように思ったのかもしれない。
当時受けた不可解な疑問が解けた時、
私はカウンターで私を品定めした男を思いだしながら、
人は存外、
自分では気が付かないものに注意を向け、
その人となりや職業を判断しているという事に気付き、
我が身とは異なる外からの印象を想像しながら、
思わず苦笑してしまったのだった。

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