2009年5月31日日曜日

ヒメダカ

この時期になると毎年ヒメダカが生まれる。
毎年といっても、
始めたのは三年あまり前で、
衝動的に十匹をペットショップで購入した。
衝動的にといっても一匹の値段は高が二三十円。
表現として適切かは疑問が残る。

それというのも妻がNTTに応募して、
ガンダムのフィギュアが当たった。
なぜそんな応募をしたかも覚えたはいないが、
とにかくプラスティックの展示ケース付きだったのである。

ガンダムは直ぐに甥っ子に送って事は済んだが、
その透明ケースの処分に困った。
縦二十五センチ横四十センチ深さ二十五センチ程のケース、
どうしたものかと考えた結果のコペルニクスだった。

実はミジンコを飼いたかったのだが、
それは何処にも売っていない。
で、ふと気が振れてなぜかヒメダカに決まった。
ペットショップの主人は、
初めてなら十匹くらいからと薦める。
何の思慮も働かないわたしは直ぐさま従ったのだった。

初めはその透明ケースをひっくり返し、
そこに水草を一緒に投入して悦に入っていた。
このヒメダカたち、
普段はわたしの足音で逃げ回る割に、
餌をやる時だけは当然のようにわやわやと集まって来る。

程なくして一二匹は途中で腹を上に向けたが、
ほとんどはよく餌を食べ元気に成長した。
飼い始めて二ヶ月もすると体も倍程に成長し、
五月も中頃には産卵を始めたのである。

初めの産卵で生まれたのは五六十匹。
すごいと思うかもしれないが、
直径0.1ミリ体長3ミリ、
群れで泳ぐ風景は精子の行進を彷彿させる。

その年は秋までに断続的に産卵があり、
生まれた数はざっと三百匹ほど・・。
そのうちし五十匹程は間もなくお陀仏してしまう。
冬を越して翌年、
成魚に成長できるのは全体の半分程である。

それでもその数なんと百五十匹。
面白がって覗く友人知人に無理矢理押し付けても、
百匹近くは年を越す羽目になった。
いかに小さなヒメダカといえども、
当初のケースにその数が収まるはずもなかった。

不要な火鉢に水を張ったり、
その辺に転がっていた植木鉢の底を塞いだりと、
いつの間にやらヒメダカの住処は、
庭から玄関にまで縄張りを広げる事となった。
挙げ句、なんという事でしょう!
家内からいい加減にしたらと、
顰蹙を買う事態にまで至ってしまったのである。

しかし彼女、
制作の合間などに鉢を覗き、
野蛮にも、ヒメダカ掬いを敢行する。
ストレス発散のつもりなのだろうが、
彼女の運動神経では中々捕まらない。
わたしは後ろでフフンと嘲る。

今年も既に三四十匹は生まれている。
先日、妙にヒメダカを気にいった友人が、
産卵した藻を持ち帰ってくれた。
恐らくそちらの方でも、
同様の現象が生じている事と思われる。

この藻には今一つ、
タニシの卵というお伴が付いている。
ヒメダカの卵は直径0.5ミリ程だが、
タニシの卵はミクロ単位である。
しかもカエルの産卵と同様に、
ゼラチン質の中に大量に産みつけられる。

これが実に面白い。
生まれたてのタニシは幼生で孵化する。
その大きさはミジンコ並みで、
普通に眺める限り只の黒い点である。
しかし拡大鏡でその姿を見ると
後ろにスクリューのようなものが付いている。
その推進翼を回転させ実に素早く動き回る。
その姿からはとてもあののろまなタニシは想像できない。

興味の湧かない方にとっては、
恐らく地味でマニアックな世界だが、
これがいざ関わってみると、
速いサイクルの小さな宇宙が展開されているようにも思え、
いつの間にやらのめり込んでしまう。

親が生まれたての稚魚をパクリとやる為に、
産卵した藻を隔離するのだが、
それでも時々鉢の片隅に孵化して浮かび上がる。
そんな稚魚を掬って隔離したりしていると、
ちょっと善行を施したごとき気分を味わえたりして、
眺めているとつい時の経つのも忘れてしまう。

何しろリーズナブルな趣味なのである。
その割には中々飽きない世界。
悪趣味と笑う前に、
ヒメダカ掬いも楽しめるこの世界、
一度連中と関わってみるのも、
一興かと思うのだが・・・。

2009年5月30日土曜日

近頃のネット事情

つい三年あまり前、
ある検索サイトから、
常に検索上位への地位を約束するから、
それに当たって年間契約して欲しいという誘いが、
毎週メールで三ヶ月間ばかり続いた。

わたしのサイトは営利目的ではない。
従ってそんな配慮は無用と、
一二度断りのメールを送った。
しかしその誘いは更に続いた。

勧誘を無視し続けてから半年も待たずに、
当サーバーへ何ものかが侵入を図り、
dosV攻撃の拠点にした事実が分かった。
それというのも、
このサイトがいつの間にやら、
危険サイトに名を連ねていると云う警告を受け、
その経緯を調査した結果、
事の次第を初めて知る事となったのだった。

そういった攻撃は、
サーバーに障害がでない限り、
素人に毛が生えた程の知識しか持ちえないわたしには、
有害サイトに登録されているという警告を受けるまでは、
全く気が付かなかったというのが現実であった。

その警告を受け、
部分的な排除方法の知識のないわたしは、
とりあえずサーバーを初期化し、
改めてWebsiteを立ち上げた。
幸い当時はまだその検索サイトの力も、
それほど強力ではなく、
ネットの混雑も酷くなかった事もあり、
Websiteは程なくして検索可能になった。

そして昨年の春、
今度はサーバーに障害が出て、
website公開システムそのものに、
トラブルが発生してしまった。
理由ははっきりとは分からないが、
サーバー自体の立ち上がりに問題が発生したところから、
どうやらヴィルスが侵入したのが原因のようであった。

そこで一念発起、
サーバーとソフトを共に新たに購入。
当方の環境の全てをヴァージョンアップして、
再びwebsiteを立ち上げたのだった。

その計画は見事に効を奏し、
それから半年の間何の障害も起こる事無く、
websiteはスムーズに稼働し続けていた。
しかし去年の暮れ辺りから、
どうも繋がらない。
或は全く繋がらないといった苦情が届くようになってきた。

学生からの苦情は、
その家が引き込み速度の遅いadslだった場合、
速度の問題で閲覧が出来ないといった事情はあった。
しかし、もうその頃には光ケーブルの環境でも、
閲覧が出来なくなっているという、
苦情も届くようになっていたのだった。

それからこれまでの数ヶ月間、
トップページを占める画像を削り、
文字項目を主体に改良する事で軽減化を測ったり、
毎日IIS(internet information services)を
リセットするなと、
閲覧速度を速める努力を続けているのだが、
中々状況が改善される兆しはなかった。

思いあまって先日、
その筋の専門家に電話で問い合わせたところ、
彼が云うには、
そちらの対策は大方間違ってはいない。

しかし、この一年で、
インターネット事情が大幅に変わってしまった。
大手のSNSや、動画サイトの普及などが、
かなり影響しているとも考えられる。
更にGoogleとYahooそしてMSNなどの、
領有権争いもそういったことが起こることと、
全く無関係ではないかもしれない。

何の事はない、
困っているのはどうやらわたしのような、
小さなサイトを運営しているところだけに、
限った問題ではなさそうなのである。
取りあえず、
現在のネット環境はその混雑の有り様が、
とても尋常ではないという話だった。

従って解決策として考えられるのは、
サーバーの能力を強化するとか云う方法ではなく
Webのインフォメイションページを、
出来るだけ簡便に軽くするとか、
IISを日に何度もリセットするとか、
そういった日々の作業で解決を図るしか方法はないという、
ごく当たり前の結論であった。

全く視覚的には何もない、
とてつもなく広大な空間に思えたネット世界。
思わぬところに大きな落とし穴が待っていたようである。
たしかにSNSや動画サイトなどは、
関係者が毎日ひっきりなしにアクセスしている。
こういった環境が最も繋がりを良くしている。
これはネット世界ではよく知られている事である。

確かにGoogleとYahooそしてMSNなどの、
覇権争いが大きな阻害要因という話には、
経験値からある程度は頷けるものがある。

しかしこういった調査の結果、
もう一方のSNSという、
自分も参加して楽しんでいる環境そのものが、
自分で公開するWebsiteの、
大きな阻害要因の一つになっているという、
何とも皮肉な結果を知る事となってしまったのである。

2009年5月29日金曜日

Y 遺伝子

ニューヨークで実際に遭遇した話である。 ほぼ十年余り前、 妻はニューヨークのとあるギャラリーで個展を開いた。 まだ9.11より数年前の事で、 街の要所要所にはポリスが二三名常に駐留していて、 日中の治安はとても良かった時代である。 ギャラリーはカーネギーホールの真向かいにあり、 ちょっと足を伸ばせば、 セントラルパークも散歩できるロケーションで、 二週間の個展の間、 サポーターのわたしは、 主催者である妻をギャラリーに残し、 暇を見てはあちらこちらを散策して歩いたのだった。 ちょうど季節は秋で、 通りを抜ける風は涼やかに乾いて心地よく、 セントラルパークの一帯は、 落ちた広葉樹の葉が重層に重なり、 まるで黄金色の絨毯を敷き詰めたようなその風情は、 輝く季節の喜びを演出しているようだった。 個展の二日目、 やけにパトカーが騒がしい。 何事かと問えば、 目の前のセントラルパークで、 実は昨晩、殺人事件が発生したという話である。 そして誰もの口をついて出る言葉は、 いくら治安が良くなったとはいえ、 女性一人でセントラルパークをジョギングなんて、 そんな行為は狂気の沙汰だと・・。 そして更に、 こうした事件は決して珍しくも何ともないのだと・・。 ほとんど毎日のように、 死者こそ出ないが起こっているのだと・・。 何せ78歳の老婆でも・・とまでの話は、 事件の当日という事もあり、 冗談好きのニューヨーカーからも聞かれなかったが、 殺された女性に同情する様子は全く感じられなかった。 自己責任の国アメリカならではの反応と納得はできたが、 同時に夜のセントラルパークが危険である事を承知で、 それでもジョギングするからには、 その女性にも何かしらの意図があっての事と、 誰もが言外に臭わすシビアーな反応にも、 確かに日本とは基本的に異なる文化とは思ったが、 それほど冷淡といった印象にも感じられなかった。 話はしかしこの事件のことではない。 二週間という個展の開催期間は意外に長く、 途中ニューヨークマラソンが入っていたが為に、 宿泊したホテルでちょっとしたトラブルにも遭遇した。 予約はエイジェントが間違いなく確保していたのだが、 こういった込み合った場合、 部屋の確認作業が改めて行なわれたのだった。 我々は長期滞在のため、 かなり大きめの部屋を確保していた。 ホテル側の狙いは、 出来れば小さい部屋へ移動させたかったようである。 再度のパスポートと、 予約カードの提出を求められた。 エイジェントに連絡するのも面倒で、 パスポートと予約カードにチップを挟み提出すると、 全て何事もなかったかのように、 フロンの担当者はウエルカムと微笑んだが、 日本では考えられない文化の違いを、 強く感じた一瞬だった。 アメリカ人にとって、 染色美術という耳慣れない分野の個展だったが、 初日のセレモニーで琴の演奏があった事も手伝ってか、 当地のタブロイドにも取り上げられ、 予想したより多くの来場者に恵まれた。 以外だったのは、 来場者の半分近くはニューヨーク在住の日本人で、 和装の女性が目立った割に彼らのほとんどが、 ろうけつ染めといった趣味の染め付けの世界は知っていても、 タブローに描かれたロウ染め絵画の存在を、 まるで知らなかった事である。 その意味でも、 彼女がニューヨークまでわざわざ出向き、 個展を開催した意味はあったと思ったが、 その来場者の中に、 他人のそら似と見紛うばかりの人物がいた。 その相手は数年前、 52歳で早世したわたしの兄の姿であった。 彼の立ち居振る舞いが、 いかにも兄と瓜二つなのである。 妻もそのあまりの相似形に驚き、 その理由を説明した上で、 彼の出身地を尋ねたのだった。 彼の出身地は九州でこちらは東北と知り、 初めは真っ赤な他人かとがっかりしたのが、 話を辿るうちに、 彼の一族とこちらの一族との繋がりが、 次第に解き明かされる事となったのだった。 六百年以上も前に、 北と南とに分かれた遺伝子が、 このニューヨークで出会った・・・。 わたしは男子一系などといった事は、 余り信じてはいなかったが、 確実に男系にだけは伝わるというY遺伝子の存在を、 この時ばかりは認めざるを得なかった。 それほど彼の存在はわたしの兄に、 その立ち居振る舞いといい、 くぐもった声の音調といい、 余りにも相似的だったのである。 Y染色体の遺伝子が一体何を運ぶのか、 実のところわたしも詳しくは知らない。 しかも次第に影の薄い存在になりつつあるとも伝えられる。 そのY遺伝子から、 わたしはニューヨークで、 思いがけない贈り物を貰ったのかもしれない。

2009年5月28日木曜日

テレビ局と自民党

なぜこの二つを並べたかというと、

この両者とも断末魔の苦しみに喘ぐ様相が、

様々なところで酷似していると思うからである。

自民党の今の金のばらまき方を見ていると、

俺たちに明日は無いの、

あの投げやりで命知らずなギャング、

ボニーとクライドの生活にオーバーラップしてしまう。

 

テレビはといえば、

この十年、高給取りの社員を抱えたが故に、

自らの公共性など何のその、

権力や企業寄りのニュースを臆面もなく垂れ流すばかりか、

その付け回しに番組粗制作費を削り、

視聴者なんぞ只のゴミとばかり、

まるで常軌を逸した、

ばか騒ぎの下品な放送ばかりで時間潰しをしている。

 

その両者の姿勢の、

金にへつらう自縛自縄のその姿

未来に展望のない投げやりな行動パターン、

合わせて眺めると見事に酷似している。

テレビ局などしかし、どうでも良い。

所詮、自然淘汰されるだけの話である。

しかし自民党がボニーとクライドでは、

その付けは国民に跳ね返ってくる。

堪ったものではない。

 

何処から金を持ってくるんだと、

民主党に詰め寄ったその舌の根の乾かぬ先から、

膨大な補正予算を組み込んで、

やれ景気対策、やれ景気刺激策のと

まさに、おたいこ持ちのお為ごかしにのって、

世間知らずのボンボンが、

花街に繰り出して豪遊してでもいるような、

何とも見苦しい散財ばらまきである。

 

どうせ俺たちゃ明日がねえ!

さあこんだけ未収の税金ばらまいた、

おまえら政権とってこの付けどうするか、

お手並み拝見と生きましょうか・・。

 

官僚たちゃあ俺たちの味方さ、

甘い汁をこってり吸わしておいた。

てめえらが政権とっても命令なんざ、

屁とも思わねえぜ!聞かねえぜ!

 

あっそう?総理、

あの曲がった屁の字の口から、

ベランメエ調でこう宣ってござるような・・。

 

揚げ足取るわけじゃないが、

彼はどうやら日本株式会社の社長になったつもりらしい。

首相と社長の区別がつかない?

揚げ足取りだけはシナリオ通りに一人前だが、

何とも寒々しいオツムが首相になったものである。

 

会社は放漫財政で身動き取れなくなれば、

潰してしまえば終いである。

しかし、国家はそう簡単なものではない。

その辺の意識が全く希薄であるが故に、

あんな言葉が口をついて出る。

椅子の回しっこでなる首相のレベルなんてこんなもの!?

では事はすまされない話なのである。

 

出来ればこの際、民社党には、

首相公選を謳って欲しい。

椅子の回しっこで口先だけの男が、

また再び日本を背負うような事態は、

極力避けて欲しいものである。

 

この際今一つ、提案だが、

下らない放送のスポンサーになるような企業相手に

不買運動でもするのが、

はっきり言ってテレビ局のばか騒ぎを無くす、

最良の方法と思うのだが、

皆様一度、

熟考頂きたく思うのですが・・・。

2009年5月27日水曜日

腐敗し難い体

200412/26に起きたスマトラ島沖大地震は、

過去に例を見ない程の大災害となった。

ウィキペディアによると、

その規模はマグニチュード9.3と記されている。

 

その地震によって津波が発生し、

近隣諸国に甚大な被害を及ぼしたのはまだ記憶に新しい。

発表された資料によると、

ずれた断層は南北400キロ東西150キロに及び、

その距離は最大二十メートルにも達するという。

 

単純にその距離を比較すると、

銚子沖から奄美大島までの距離に相当するらしい。

これは1960年に発生したチリ大地震の、

マグニチュード9.5に次ぐ規模という事である。

 

アメリカの地質学者の説によると、

この地震によって、

地球の一日の長さが百万分の三秒程度早まり、

地軸が2センチずれた可能性があるという。

地球は過去に何度か地軸が反転しているという学説も、

この資料を読むと妙に納得させられる。

 

更にこの地震の後、

20052/3にフリピンのセレベス海でM7.1

同年3/28ニアス島北部でM8.6

20071/21スラウェシ島南東部でM7.3といった、

大きな地震が発生している。

これらは余り日本では報道されていないが、

熱しく醒めやすい日本のマスコミらしい話である。

 

なぜこんな例を引き合いに出したかといえば、

この大地震で近隣の被災した地域では、

数千人規模で死人がでており、

日本人旅行者四十数名を含めた

多くの外国人も災害に巻き込まれ亡くなっている。

 

そこで話題になったのが、

現地人の死体は一日二日で腐敗するのに、

旅行者の死体の多くが、

一週間近く腐敗しなかったという話である。

 

残念ながらこういった現象が、

どういった原因でそういった結果になったのか、

いまのところ科学的に検証はされていないようである。

しかし、その話を聞いたとき、

私達夫婦は妙に納得してしまった。

 

ちょうどその日の朝、

賞味期限を一週間も切れた豆腐を、

私が一口毒味して、

酸味がないから大丈夫という事で、

生姜と葛湯の温豆腐にして食べたばかりだった。

 

以前、そう、ほんの四五年前なら、

賞味期限を10日も過ぎた豆腐など、

とても口に入れられる代物ではなくなっていた。

ところがこの一二年で殺菌技術が進歩したのか、

豆腐が実に腐り難くなっている。

 

まあこれは好意的に解釈しての話だが、

恐らく防腐剤がかなり改良され、

味に影響しないようになったから、

期限を10日も過ぎた豆腐でも、

味を損なう事無く食べられるのだと、

私は勝手に推論している。

 

食べてしまってからこう云うのもおかしい話だが、

いかに滅菌技術が進歩したからといって、

10日も過ぎた豆腐が、

一向に腐る様子もなく、

ショウガと葛湯で食べて美味しいというのは、

如何にも納得のいかない話である。

 

こういった具合で我々先進国といわれる国の住民は、

分けも判らぬまま、

食品とともに無害だからと認可された、

防腐剤や添加剤の類いを購入した食品と一緒に、

ほとんど無意識に摂取させられているのである。

 

それに比して、

現地の方々は恐らく、

地域で生産される、

防腐剤や添加剤を一切含まない、

素朴な食材日々摂取している。

 

この実にピュアな肉体に比して、

札ビラを切る観光客の肉体は、

例外なく防腐剤や添加剤まみれだからこそ、

こういった奇妙な現象が生じたように類推してしまう。

これはしかし科学的には何の根拠もない話と、

お断りしなければならない。

 

ただ、これが余り話題にならなかったのは、

数日の違いでやはり屍の腐敗が始まり、

それどころではない状況に、

当地の誰もが振り回されたからであり、

これがもし一ヶ月もそのままとなったら、

もっと不気味で大きな話題になった事だろうと、

食卓でこんな事を話題にしながら、

賞味期限を10日も過ぎた豆腐の葛生姜の残骸を見て、

夫婦で苦笑いしたのだった。

2009年5月26日火曜日

アポトーシス

生物学の世界から見れば、 
人体はこのアポトーシス(プログラム化された細胞死) 
によって成長の過程で無用な細胞が排除される。 
そして更にこういった生命活動によって、 
健全な多細胞生命体としての肉体が維持されている。 

例えばそれはオタマジャクシの尻尾が、 
かえるに変態する過程で消滅する現象であり、 
或は胎児の手に形成過程で生じる水かきのような細胞が、 
成長するに従い消滅してしまう。 
こういった細胞の自死作用をアポトーシスという。 

多細胞生命体が持つこのアポトーシスという仕組みは、 
人体の健全な組成細胞維持の為に、 
様々な方法で関与している。 

例えば体の細胞が発がん物質の摂取や、 
強い紫外線に晒されるといった事が原因で、 
その部分の細胞が修復不可能になったり、 
或はそのDNAを修復するタンパク質の、 
遺伝子そのものが損傷したりすると、 
そういった細胞増殖させない為に、 
細胞は分裂を停止するか、 
アポトーシスによって傷ついた細胞ごと、 
体外に排除しようとする。 

面白い事に、 
こういった生命活動には、 
人体内に共棲するミトコンドリアが、 
司令塔と成って重要な役割を担っている。 
だがしかし、 
そういった仕組みで修復仕切れなくなった細胞は、 
そのまま止まる事無く自己増殖を繰り返す事になる。 
癌は基本的には自身の体を構成している細胞が、 
こういった環境で暴走する事によって形成される。 

ここで、中村桂子氏の著書から引用すると、 
ゲノムDNAは不安定で、 
常に傷が入っては修復され、 
時に間違った形が変異となって固定化される。 
そういった歴史の繰り返しによって生み出された違いが、 
様々な生命体の持つゲノムDNAの違いに繋がっている。 
このDNAの持つ不安定さが、 
地上の生命体に多様さをもたらしている・・らしい。 

人間という生命体も、 
不安定で傷つきやすいDNAゲノムと、 
ミトコンドリアによってその働きをコントロールされる、 
アポトーシスによって、 
偶然こんな形になってしまったに過ぎないのかもしれない。 

ちょっとゲノムが不機嫌で、 
アポトーシスが違った方向に働いていたら、 
存外火星人のような体になっていたかもしれないのである。 
この不安定さ、 
何とも人間社会の脆さそのもののような気がしてしまうのは、 
果たして私ばかりだろうか・・。 

突き放したような冷たい物言いになるが、 
こういった人体の仕組みを考える時、 
それこそこういった行程を経た多細胞生命体である、 
人間の集合体であるこの社会に、 
安定した政治を求めるのは、 
ひょっとしたら、 
身の程知らずのような願望ではないかと思ってしまう。 

発生以来、殺戮と結合、破壊と修復を、 
常に繰り返してきた人類の歴史を紐解くと、 
傷つき変異を繰り返してきたゲノムDNAと、 
自らを滅ぼす事によって人体を維持する、 
アポトーシスによって繰り返されてきた人体の形成の過程と、 
どうしてもオーバーラップしてしまうのである。 

人体から病が無くならないのと同じで、 
人間社会からも狂気や混乱という病が無くなる事はない。 
多細胞によって形成される人間も、 
その人間によって組織された社会も、 
傷ついては修復し、 
修復しながら時の流れの中で変態し続けるのかもしれない。 

ひょっとしたらこの人間社会の中にも、 
ミトコンドリアのような司令塔が存在するかもしれない。 
どこかの国で狂気が増殖して、 
それこそ収拾のつかない事態が発生したら、 
世界戦争というプログラムでアポトーシスを行ない、 
癌化した一部の地域社会を修復するか、 
それが出来なければ消滅させる。 

しかしこういった、 
人類を維持するための作業が限界に来た時、 
癌が人体を蝕み破壊し尽くすように、 
狂気と混乱が世界中を支配し、 
人間社会という構造物そのものを、 
破壊し尽くすのかもしれない。 

これはもう人間社会のゲノムに過ぎない人間の一人一人が、 
どう頑張ったところでどうにもならない、 
それこそ人類という生命体の、 
辿るべき寿命であり運命なのかもしれない。 

多細胞生命体に備わったアポトーシスと、 
人間社会から消えようとしない戦争と比べて見る時、 
その作用する働きに置いて、 
如何にも類似しているように思えてしまう。 

人体構造と社会構造の相似性をこうしてなぞらえてみると、 
人がいずれ必ずや死から逃れられないように、 
人類にも種としての寿命があり、 
いずれ滅び消滅するその時が、 
近い将来訪れるのかもしれないという結論に、 
どうしても辿り着いてしまうのだが・・・。

2009年5月24日日曜日

生きている実感

人の存在そのものを証明することは、

ディジタルの点と点の間の存在を証明するのと同じで、

在るといえば在るような、

無いといえば無いような、

といったところで、

存在そのもの自体の証明には困難を伴う。

 

そこでまず、

人は現実に存在しているというところから、

今日は話を進めたいと思う。

その生きて存在しているという実感を、

人は何時どういった場で感じることが出来るか。

 

人は日常生活がスムーズに進行している中では、

自分の存在を問いかけるようなことは余りしない。

そんな暇はないというのが本当のところではないだろうか。

しかし一度躓いたり、壁に当たったりした時、

一体自分は必要とされているのだろうか?とか、

役に立つ存在なのだろうか?

或は自分の存在が本当に人の役に立っているのだろうか?

などといった思いに苛まれてしまう事がある。

 

よく人間は感情の生き物であるといった表現が遣われる。

確かにそういった側面がある事は否定できない。

喜怒哀楽といった言葉も、

そういった人間の生態を的確に表している。

 

私はそれと同時に人は感性の生き物でもあると思っている。

論理的に自己の証明が出来なくても、

自分の存在は個々人が感性で認識し、

日常の中でその存在を疑うような事はしない。

感性といっても脳が認識していると仰るかもしれない。

確かにそれは否定できないが、

自己の存在認識が脳単独で処理できるかといえば、

それは違うといわざるを得ない。

 

人体に備わった様々な諸器官が外部の刺激に反応し、

その刺激を最終的に判断するのは脳かもしれない。

しかし刺激を受けそれを伝えるのは、

決して脳だけで処理出来るわけではない。

認識の全ての処理が脳によってなされるというのは

サッカーを、

レフリーだけでも出来るといっているようなものである。

 

そういった意味で、

人は外部からの刺激を様々な器官が捉え、

その刺激を総合的に脳が選別して、

その刺激がどういった種類かを判断する。

そういった過程の中で、

人それぞれの認識の差や違いが生じる。

そういった差が個性となって現れたり、

癖と表現されたりするのではないだろうか。

 

人はこういった具合に、

様々の諸器官と脳との連携によって、

ほとんど無意識に自分を存在しているものと認識している。

生物学的には人は自らの肉体を形成するにあたって、

ミトコンドリアという微生物の力を借りている。

というより肉体は多くのミトコンドリアによって支えられている、

といっても差し支え無い環境なのである。

そうなるとこういった微生物や、

腸内に存在する数兆ともいわれる菌類もそういった、

自己認識の判断に手を貸している事になる。

もうこうなると人を唯物論的にその存在を証明することは、

宇宙の存在を証明するに等しく、

ほとんど不可能といって差し支えあるまい。

それでも人は自己を認識しているのである。

 

ところが何かに躓いたり、壁に当たったりというように、

思考や認識の流れの中に阻害要因が入ると、

人は途端に自分の存在に疑問を抱いてしまう。

必要な存在か、役に立っている存在か?・・.

この作業は存在の論理的確認というより、

自己の日常的な認識行程の確認といった、

もっと自己を感性で把握しようとする、

総合的な自己認識作業といえる。

そしてその作業を害する最も危険な存在は、

無用の者、役立たずといった、

その人間を社会的に否定するような表現である。

 

そういった言葉は確かに、

個人の存在そのものを否定するわけではない。

しかし、日常的な作業の中で、

自己の存在を感性的に把握している人間にとっては、

その個人の全ての感性を否定される行為に等しいのである。

それを云われた人間にとっては、

具体的に自己の社会的な存在意味を否定されるという、

生きる上で致命的なダメージに繋がりかねない表現といえる。

 

そういった意味で、

人は必要とされる、或は役に立っているといった、

相関的な感性の交流によって得られる充足感によって、

日常の中では生きている実感、

あるいは存在している実感を獲得しているのである。

 

結論として、人は日常での中では、

自己の唯物的な存在そのものより、

周囲との関わりによって自己の存在を認識し、

その存在認められ必要とされるという充足感を得る事こそが、

人にとっての自己存在の証明そのものであり、

自分が生きている実感を認識できる、

最も重要な要素といえるのではないだろうか。

2009年5月23日土曜日

教鞭を執る

初めに昨日書いた57才限界説を訂正する。
あれは1957年以前に生まれた方が、
新型インフルエンザの抗体を持っている、
というのが正しいようである。
新型なのにとちょっと不可解な話だが、
アメリカではこういった情報が既に流されている。

さて本題に入ろう。
少し前のイギリスの少年向け映画の中では、
よく生徒が鞭打たれるシーンがあった。
生徒によっては鞭打たれることを納得している子もいれば、
只恐れ戦く様子の子もいた。
当然強権を発して暴力で制裁を下す教師に、
憎しみを抱くような生徒の存在も描かれていた。

しかしお多くのシーンでは、
なぜそういった事態に至ったかが、
かなり克明に描かれ、
まだ少年だった私にも、
その鞭打ちが良い変わるいかは別にして、
罰として説得力ある鞭打ちに思えた。

翻って日本の教師の生徒に接する態度を見る時、
そのあまりの違いに何度となく落胆したものだった。
今にして思えば映画と現実である。
イギリス人だけが奇麗ごとで済まされているわけはない。
しかし少年にとって、
この描かれたイギリス映画の教育現場と、
日本の小中学校の現実との社会背景の違いを、
冷静に分析できるはずもなかった。

どうして日本の教師は、
成績のふるわない生徒や、
自分の思い通りにならない生徒ばかりを、
目の敵にするのだろう。
それに比して、
成績優秀な子供が少々悪さをしても、
笑って怒る振りをしたり、
拳骨で触るような怒り方はすることがあっても、
他の子供たちとは明らかに異なった態度で接する。

高校に至っては、
担当の教師がクラスの生徒達に向かって、
そのうち君たちが卒業して自分達よりも、
偉くなって戻って来るかも知れないから、
おいそれと怒れないというようなことを、
冗談を交えながら話したこともあった。

それにしてもイギリス映画で描かれる教師と、
日本の教育の現場で拘る教師との、
その品位においてのギャップの余りにも大きな落差に、
少年ながら失望することが多々あったのは事実である。

イギリス映画のそういったシーンは、
おおむね寄宿学校の生徒と教師の関係が、
対象であったように記憶している。
教師と生徒との信頼関係が克明に描かれる中で、
決してそういった教師とは、
馴染めない悪意の生徒の存在も描かれていた。
そういった中で感心したのは、
背筋を伸ばし毅然とした教師の振る舞いでもだが、
教師と生徒の立場のはっきりした違いであった。

階級制の厳しい時代のイギリス社会を描いた作品であり、
今思えば当然そういった背景があって映像と判るのだが、
当時はそういった社会背景よりも、
大人達の毅然として生徒に接するその姿勢に、
憧憬を抱いたものだった。

翻って我が環境を見た時、
教師達からはそういった権威も感じなければ、
畏怖心というものも全く感じられなかった。
当然といえば当然かもしれない。
当時の日本は敗戦後の混乱状態の中で、
教師達自身がどういった教育を理想とすべきか、
暗中模索の時代だったのである。

しかしもうその頃から、
体罰に対しては様々なクレームが上がっていた。
それでもマンモス中学に在籍していた頃、
なぜか暴力対策用の教師の存在が有名であった。
中学の中に暴力集団のようなものが出来、
その対抗処置として、
そういった教師が赴任していたのだった。

最近よく接するのは、
暴力反対を美旗のように掲げる社会現象である。
教師達もそういった環境の中で、
必要以上に神経質になり、
ノイローゼになってしまう者さえいるようである。

中には暴力を使えない教師に対して、
それを良いことに子供達がのさばり、
収拾がつかなくなるクラスの存在もあるという。
果たして教師の体罰をも含めた全ての暴力が、
かくも否定されなければならない行為なのだろうか。
私はそうは考えない。

教鞭につくという言葉がある。
子供を教育するには鞭が必要と、
この言葉は明らかに説明しているのである。
鞭のない教育環境は、
獣に知識を与えてしまうような、
恐ろしい環境とも例えられるのである。

家庭でことの善悪の躾をされていない子供達は、
見方によっては知能の高い猿と同じ次元で、
自らを律する事無く、
欲望の赴くままに生きているのである。
ひったくりや振り込め詐欺の多発は、
そういった獣達に要らぬ智慧を授けたが故の、
当然の結果といえなくもない。

鉄は熱いうちから打てという諺のごとく、
子供はなるべく早い時期に、
ことの善悪を教え込む為にも、
鞭で打つという罰を与える教育方法も、
時と場合により必要ではないかと思うのだが・・・。

2009年5月22日金曜日

拝啓、新型インフルエンザさま

57年以前に生まれた人には、

どうやら新インフルエンザに対する免疫があるらしい。

これはしかし医学的根拠に基づいた発表ではなさそうである。

 

なぜ今回に限って、

こんな話がインターネット上を賑わすのか、

かなりムクムクと猜疑心が芽生えて来る。

新型インフルエンザの遺伝子の型が、

自然界のものではないといった論文や、

こういった57才限界説が、

真しやかにネット上を流れる。

 

弱毒性と知りながら、

WHOや日本政府のこの慌てよう、

こりゃ尋常じゃないと思うのが当たり前じゃなかろうか?

遺伝子の型が自然界では存在しないという論文を、

WHOはただ今検証中らしいが、

否定できなければきっと、

この話はうやむやにされてしまう。

 

これは私の想像だが、

メキシコの小さな村にある遺伝子研究所。

その付近が新型インフルエンザの発生源?

しかも57才限界説。

何ともミステリアスなインフルエンザであることか。

 

これから私学は学校紹介の時期に入る。

学生課や担当教授が学部紹介に飛び回る。

いわば小さな私学の営業活動である。

妻は出身地周辺の高校が担当らしいが、

どうやらこの様子じゃ当分訪問できないと零す。

 

なぜ?57歳以上は罹らないんだから、

心配するようなことないんじゃない?

でも、私が訪問した後、

その高校から感染者が出たら大変でしょ!

 

なるほど、

関西地区は奈良県を除き伝染者が出ている。

しかも住いは京都。

そんなはずはなくても、

第一号が訪問先の高校から出たら、

魔女狩りされかねない環境である。

クワバラクワバラ・・。

 

今日は雨がパラパラと降っている。

梅雨前の心もとない春雨である。

ちょっと濡れますけど、

こんなもんでよろしいやろか?

な〜んて、

舞子はんが呟いているような優しい雨。

 

もうしばらくすれば梅雨になる。

インフルエンザは湿気に弱い。

菌も梅雨の湿気で自身が重くなり、

空気中を飛び回る元気を失うのか、

官僚の渡りのようには、

気軽に人体を渡り歩けなくなるようである。

 

なんて冗談はさておき、

このまま新型インフが立ち枯れてしまったら、

WHOもきっと頬かむりするんだろうな・・。

遺伝子研究所から昔のインフルエンザが漏れたなんて、

洒落にもならない。

 

きょうはこれから、

京都市内のデパートへ買い物に出かける。

マスクを着用すべきか、

はたまた57歳以上安全説を信じるか?

単に買い物されど買い物・・・。

悩ましきこなた、

拝啓、新型インフルエンザ様!