昨日の町内会で、
日赤の寄付金について問いあわせた。
その金の流れが不透明で、
寄付金なのにキックバックがある。
廃止すべきではないかと・・・。
会長役その不透明さには納得している。
町内会に一割、
その上の組織には二割、
申請すればキックバックがあると・・。
しかも、寄付金に関しての会計報告が一切ない。
他の町内からも、
その不透明な集金システムに疑問が上がっている。
だが、今すぐ廃止するというわけにはいかないので・・。
皆ボランティアである。
それ以上追求しても意味がないので話を納めたが、
どうもこういった集金システムが、
日本では上からしたまで浸透している。
して、そのキックバックのお金は、
何に遣われるかといえば、
大体は飲み食いである。
これではなにをか況やである。
税金をくすねる官僚を非難できるわけがない。
一体いつ頃からと歴史を振り返る。
どうも有史以前から、
日本人は何かにつけ集まって、
酒を酌み交わすのが好きな民族らしい。
そこで本音を語り合って、
意思の疎通を図るという正に酒飲みの方便である。
こういったシステム下戸は嫌う。
当たり前である。
冗談じゃない。
なぜ酒の呑めない自分が、
応分以上の金を払うのか?
しかし歴史の中で多くは黙殺され続けてきた。
酒飲みを優遇し過ぎるという、
公平性を欠いた悪しき習慣なのである。
しかも、こういった金の流れは、
往々にして不透明きわまりない。
実は役人たちの裏金作りも、
こういった歴史背景に根ざしたものであり、
恐らく余程の大手術をしない限り、
消えて無くなることはまずあるまい。
どうも日本人は、
こういった曖昧なうさん臭さが好きな民族のようである。
訳の分からない金を、
分けの判らないところにプールして、
一部の人間が蜜のようになめている。
こういったうさん臭いシステムが好きな連中が、
何とも多いことだろうか。
そして今の時代、
国家組織をまで腐らす温床になっている。
以前は回覧板に袋を下げて回していた。
ほぼ強制的な集金方法だった。
日赤のこのうさん臭い寄付金の流れは、
一部の人間の中では先刻承知の事実だった。
で、私達数軒は黙殺していたが、
どうも無垢なる我が町民の多くは、
黙って五百円を袋に入れている。
その金がどういった使われ方をされるのか、
まるで頓着ないというより、
面倒に巻き込まれたくないが故の沈黙である。
そこで私は暴挙に出ようと思う。
寄付金袋を各家庭に配ってしまい。
書類を填補するという。
それにはこう認める。
これは純粋に寄付であり強制ではありません。
望んで寄付される方は、
袋にご希望の金額をお入れになって、
組長の丸々までお持ちくださいと・・。
下らない悪しき習慣に便乗して、
寄付金から飲み代をかすめ取るような連中の為に、
何も私がその手助けをすることはないのである。
しかも、その寄付金が一体何に遣われているのやら、
皆目分からないとなれば尚更のことである。
恐らくこういった方法をとれば、
寄付金をそれでも支払うという家はいまい。
正直、持ってくる家があれば、
内情を説明して、
それでも寄付なさいますかと、
確認しようと思っている。
私の組には19軒。
恐らく寄付金はゼロとなる。
さあてどんな意地悪が始まるか、
京都という街の、
果ては日本という国の不思議な習慣、
背筋を伸ばしたマトモが通らない。
とくと拝見いたしましょうか・・・。

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