生物学の世界から見れば、
人体はこのアポトーシス(プログラム化された細胞死)
によって成長の過程で無用な細胞が排除される。
そして更にこういった生命活動によって、
健全な多細胞生命体としての肉体が維持されている。
例えばそれはオタマジャクシの尻尾が、
かえるに変態する過程で消滅する現象であり、
或は胎児の手に形成過程で生じる水かきのような細胞が、
成長するに従い消滅してしまう。
こういった細胞の自死作用をアポトーシスという。
多細胞生命体が持つこのアポトーシスという仕組みは、
人体の健全な組成細胞維持の為に、
様々な方法で関与している。
例えば体の細胞が発がん物質の摂取や、
強い紫外線に晒されるといった事が原因で、
その部分の細胞が修復不可能になったり、
或はそのDNAを修復するタンパク質の、
遺伝子そのものが損傷したりすると、
そういった細胞増殖させない為に、
細胞は分裂を停止するか、
アポトーシスによって傷ついた細胞ごと、
体外に排除しようとする。
面白い事に、
こういった生命活動には、
人体内に共棲するミトコンドリアが、
司令塔と成って重要な役割を担っている。
だがしかし、
そういった仕組みで修復仕切れなくなった細胞は、
そのまま止まる事無く自己増殖を繰り返す事になる。
癌は基本的には自身の体を構成している細胞が、
こういった環境で暴走する事によって形成される。
ここで、中村桂子氏の著書から引用すると、
ゲノムDNAは不安定で、
常に傷が入っては修復され、
時に間違った形が変異となって固定化される。
そういった歴史の繰り返しによって生み出された違いが、
様々な生命体の持つゲノムDNAの違いに繋がっている。
このDNAの持つ不安定さが、
地上の生命体に多様さをもたらしている・・らしい。
人間という生命体も、
不安定で傷つきやすいDNAゲノムと、
ミトコンドリアによってその働きをコントロールされる、
アポトーシスによって、
偶然こんな形になってしまったに過ぎないのかもしれない。
ちょっとゲノムが不機嫌で、
アポトーシスが違った方向に働いていたら、
存外火星人のような体になっていたかもしれないのである。
この不安定さ、
何とも人間社会の脆さそのもののような気がしてしまうのは、
果たして私ばかりだろうか・・。
突き放したような冷たい物言いになるが、
こういった人体の仕組みを考える時、
それこそこういった行程を経た多細胞生命体である、
人間の集合体であるこの社会に、
安定した政治を求めるのは、
ひょっとしたら、
身の程知らずのような願望ではないかと思ってしまう。
発生以来、殺戮と結合、破壊と修復を、
常に繰り返してきた人類の歴史を紐解くと、
傷つき変異を繰り返してきたゲノムDNAと、
自らを滅ぼす事によって人体を維持する、
アポトーシスによって繰り返されてきた人体の形成の過程と、
どうしてもオーバーラップしてしまうのである。
人体から病が無くならないのと同じで、
人間社会からも狂気や混乱という病が無くなる事はない。
多細胞によって形成される人間も、
その人間によって組織された社会も、
傷ついては修復し、
修復しながら時の流れの中で変態し続けるのかもしれない。
ひょっとしたらこの人間社会の中にも、
ミトコンドリアのような司令塔が存在するかもしれない。
どこかの国で狂気が増殖して、
それこそ収拾のつかない事態が発生したら、
世界戦争というプログラムでアポトーシスを行ない、
癌化した一部の地域社会を修復するか、
それが出来なければ消滅させる。
しかしこういった、
人類を維持するための作業が限界に来た時、
癌が人体を蝕み破壊し尽くすように、
狂気と混乱が世界中を支配し、
人間社会という構造物そのものを、
破壊し尽くすのかもしれない。
これはもう人間社会のゲノムに過ぎない人間の一人一人が、
どう頑張ったところでどうにもならない、
それこそ人類という生命体の、
辿るべき寿命であり運命なのかもしれない。
多細胞生命体に備わったアポトーシスと、
人間社会から消えようとしない戦争と比べて見る時、
その作用する働きに置いて、
如何にも類似しているように思えてしまう。
人体構造と社会構造の相似性をこうしてなぞらえてみると、
人がいずれ必ずや死から逃れられないように、
人類にも種としての寿命があり、
いずれ滅び消滅するその時が、
近い将来訪れるのかもしれないという結論に、
どうしても辿り着いてしまうのだが・・・。

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