2009年5月26日火曜日

アポトーシス

生物学の世界から見れば、 
人体はこのアポトーシス(プログラム化された細胞死) 
によって成長の過程で無用な細胞が排除される。 
そして更にこういった生命活動によって、 
健全な多細胞生命体としての肉体が維持されている。 

例えばそれはオタマジャクシの尻尾が、 
かえるに変態する過程で消滅する現象であり、 
或は胎児の手に形成過程で生じる水かきのような細胞が、 
成長するに従い消滅してしまう。 
こういった細胞の自死作用をアポトーシスという。 

多細胞生命体が持つこのアポトーシスという仕組みは、 
人体の健全な組成細胞維持の為に、 
様々な方法で関与している。 

例えば体の細胞が発がん物質の摂取や、 
強い紫外線に晒されるといった事が原因で、 
その部分の細胞が修復不可能になったり、 
或はそのDNAを修復するタンパク質の、 
遺伝子そのものが損傷したりすると、 
そういった細胞増殖させない為に、 
細胞は分裂を停止するか、 
アポトーシスによって傷ついた細胞ごと、 
体外に排除しようとする。 

面白い事に、 
こういった生命活動には、 
人体内に共棲するミトコンドリアが、 
司令塔と成って重要な役割を担っている。 
だがしかし、 
そういった仕組みで修復仕切れなくなった細胞は、 
そのまま止まる事無く自己増殖を繰り返す事になる。 
癌は基本的には自身の体を構成している細胞が、 
こういった環境で暴走する事によって形成される。 

ここで、中村桂子氏の著書から引用すると、 
ゲノムDNAは不安定で、 
常に傷が入っては修復され、 
時に間違った形が変異となって固定化される。 
そういった歴史の繰り返しによって生み出された違いが、 
様々な生命体の持つゲノムDNAの違いに繋がっている。 
このDNAの持つ不安定さが、 
地上の生命体に多様さをもたらしている・・らしい。 

人間という生命体も、 
不安定で傷つきやすいDNAゲノムと、 
ミトコンドリアによってその働きをコントロールされる、 
アポトーシスによって、 
偶然こんな形になってしまったに過ぎないのかもしれない。 

ちょっとゲノムが不機嫌で、 
アポトーシスが違った方向に働いていたら、 
存外火星人のような体になっていたかもしれないのである。 
この不安定さ、 
何とも人間社会の脆さそのもののような気がしてしまうのは、 
果たして私ばかりだろうか・・。 

突き放したような冷たい物言いになるが、 
こういった人体の仕組みを考える時、 
それこそこういった行程を経た多細胞生命体である、 
人間の集合体であるこの社会に、 
安定した政治を求めるのは、 
ひょっとしたら、 
身の程知らずのような願望ではないかと思ってしまう。 

発生以来、殺戮と結合、破壊と修復を、 
常に繰り返してきた人類の歴史を紐解くと、 
傷つき変異を繰り返してきたゲノムDNAと、 
自らを滅ぼす事によって人体を維持する、 
アポトーシスによって繰り返されてきた人体の形成の過程と、 
どうしてもオーバーラップしてしまうのである。 

人体から病が無くならないのと同じで、 
人間社会からも狂気や混乱という病が無くなる事はない。 
多細胞によって形成される人間も、 
その人間によって組織された社会も、 
傷ついては修復し、 
修復しながら時の流れの中で変態し続けるのかもしれない。 

ひょっとしたらこの人間社会の中にも、 
ミトコンドリアのような司令塔が存在するかもしれない。 
どこかの国で狂気が増殖して、 
それこそ収拾のつかない事態が発生したら、 
世界戦争というプログラムでアポトーシスを行ない、 
癌化した一部の地域社会を修復するか、 
それが出来なければ消滅させる。 

しかしこういった、 
人類を維持するための作業が限界に来た時、 
癌が人体を蝕み破壊し尽くすように、 
狂気と混乱が世界中を支配し、 
人間社会という構造物そのものを、 
破壊し尽くすのかもしれない。 

これはもう人間社会のゲノムに過ぎない人間の一人一人が、 
どう頑張ったところでどうにもならない、 
それこそ人類という生命体の、 
辿るべき寿命であり運命なのかもしれない。 

多細胞生命体に備わったアポトーシスと、 
人間社会から消えようとしない戦争と比べて見る時、 
その作用する働きに置いて、 
如何にも類似しているように思えてしまう。 

人体構造と社会構造の相似性をこうしてなぞらえてみると、 
人がいずれ必ずや死から逃れられないように、 
人類にも種としての寿命があり、 
いずれ滅び消滅するその時が、 
近い将来訪れるのかもしれないという結論に、 
どうしても辿り着いてしまうのだが・・・。

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