2009年5月19日火曜日

日本の神社

今から三十数年前のことである。

私達夫婦は京都伏見の、

某神社近郊に住いを構えていた。

まだ公務員の初任給が十万に届かなかった時代の話である。

 

ある日住人の留守中にその某神社が火災となり、

神社は全焼してしまった。

人づてに聞くところによると、

神主がよその神社の手伝い、妻が踊りの教室へ・・。

どうやら火の不始末が原因という事であった。

 

これだけなら別に話題にするようなことではない。

だが、その一週間ばかり後になって、

近在の住民は自動的に氏子と認識されるから、

寄付をするようにといったお触れがあった。

正に高見に構えた神主から、

氏子と認めてやるから寄付をするようにといった、

お触れ書きに違いなかった。

 

しかも、その金額たるや、

一件につき二十数万円である。

そのお金額の高さには町人の誰もが驚いた。

しかし陰でそんな高額な寄付金をとぐずぐず云う者はいても、

表立って誰もそのことにクレームをつけようとはしない。

私はイライラしてフラストレーションが溜まっていた。

 

私が第一にとさかを逆立てたのは、

頼んでもいない氏子に勝手にさせられたことである。

しかもそれまで何の音沙汰もなかった神主から、

大枚の寄付を募るという、

たったそれだけの目的の為に、

氏子にしてやるから金を出すのが当たり前、

的な態度で高飛車に出られたことである。

 

私はそれが誰であれ、

頭ごなしに命令されるのは生理的に受け付けない。

子供の頃からそれで教師とも衝突し、

記憶を失う程抑圧された経験があるが、

それでもこの性格は六十過ぎた今も変わらない。

 

神社から出された寄付金要求の、

その金額の余りの大きさはさすがに問題になり、

神社側から神主が出席し、

町内会で事情を説明するということが決まった。

まあ当然といえば当然の話である。

 

説明会の当日、

神社側からの説明はやはりかなり高飛車なものだった。

氏子である以上、

神社建立費用の分担金として各家に割り振られた、

それ相応の金額を寄付して欲しいという。

その日集まった数十人の口から、

分割にしてくれとか、

少しずつ長期にして欲しいというような話が出ても、

なぜか払う義務が生じるかについての意見が出ない。

何せ皆がみな払うものだという、

歴史の呪縛から逃れられない様子であった。

 

私はついにその時、

溜まったフラストレーションが爆発してしまった。

そしてはっきりこう主張した。

 

私にとってのこの神社は、

年に一回のお祭りで、

屋台を楽しむぐらいの価値しかない。

そちらが私を氏子と呼ぶのは勝手だが、

こちらにはその意識も、

氏子にして欲しいと頼んだこともない。

なのに、突然に寄付金というのに割当金額が決められ、

しかもなぜそれだけ多額なのかが判らない。

寄付金というからには、

その金額はこちらの裁量で決めるべきものだと思うのだが・・。

 

恐らく神主が正面切ってこんな言葉を聞いたのは、

神主になって初めての経験のようであった。

しかし目を白黒している神主の前で、

予想以上の拍手が沸き上がってしまった。

 

私とて神社の存在を否定するつもりはなかった。

ただ頭ごなしの寄付金徴収は、

生理的に許容できなかったが故の発言であった。

とはいえ私の発言のあまりの効果に、

私自身ほんの少し面食らったのは確かである。

言い過ぎたとは思ったが、

こうなってしまってはもう後へは引けない。

その場で話を詰め、

各自金額は自由という事で結論を得たのだった。

 

その結果、町内の各戸の寄付金は、

結果として十分の一から百分の一程度になったが、

神社の申し出に従う氏子も何軒かはいたようであった。

神主には申し訳ないことをしてしまったとは思う。

だがしかし、私のあの時の主張は正当だったと、

私は今でも信じている。

 

人は往々にして地位に胡座をかき、

この神主のように、

自分が拘っている組織の人間の、

個々人の心に配慮する気持ちを失ってしまう。

これが寄付と云いながら、

桁外れの金額を提示した大きな要因だったと思われる。

今の官僚たちの行動様式を見ていると、

時々この神主の姿とオーバーラップしてしまう。

 

やはり国民が、

その一人一人が、

彼らの方法論や行動の間違いに気が付いた時点で、

その根拠の説明を求め、

彼らにことの是是非を問い質すという態度が、

これからのこの国には必ずや必要かもしれない。

 

そうしないと、

曖昧な理屈で税が徴収され、

福祉といった国民が必要とする政策を素通りして、

いかにも当然といった顔で、

彼らにとっての神社と思える、

不要な道路やダム建設にその税金が回されてしまう。

駄目なものは駄目!と発言することが、

この日本という国には、

必ずや必要なのではないかと思っている。

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