今から三十数年前のことである。
私達夫婦は京都伏見の、
某神社近郊に住いを構えていた。
まだ公務員の初任給が十万に届かなかった時代の話である。
ある日住人の留守中にその某神社が火災となり、
神社は全焼してしまった。
人づてに聞くところによると、
神主がよその神社の手伝い、妻が踊りの教室へ・・。
どうやら火の不始末が原因という事であった。
これだけなら別に話題にするようなことではない。
だが、その一週間ばかり後になって、
近在の住民は自動的に氏子と認識されるから、
寄付をするようにといったお触れがあった。
正に高見に構えた神主から、
氏子と認めてやるから寄付をするようにといった、
お触れ書きに違いなかった。
しかも、その金額たるや、
一件につき二十数万円である。
そのお金額の高さには町人の誰もが驚いた。
しかし陰でそんな高額な寄付金をとぐずぐず云う者はいても、
表立って誰もそのことにクレームをつけようとはしない。
私はイライラしてフラストレーションが溜まっていた。
私が第一にとさかを逆立てたのは、
頼んでもいない氏子に勝手にさせられたことである。
しかもそれまで何の音沙汰もなかった神主から、
大枚の寄付を募るという、
たったそれだけの目的の為に、
氏子にしてやるから金を出すのが当たり前、
的な態度で高飛車に出られたことである。
私はそれが誰であれ、
頭ごなしに命令されるのは生理的に受け付けない。
子供の頃からそれで教師とも衝突し、
記憶を失う程抑圧された経験があるが、
それでもこの性格は六十過ぎた今も変わらない。
神社から出された寄付金要求の、
その金額の余りの大きさはさすがに問題になり、
神社側から神主が出席し、
町内会で事情を説明するということが決まった。
まあ当然といえば当然の話である。
説明会の当日、
神社側からの説明はやはりかなり高飛車なものだった。
氏子である以上、
神社建立費用の分担金として各家に割り振られた、
それ相応の金額を寄付して欲しいという。
その日集まった数十人の口から、
分割にしてくれとか、
少しずつ長期にして欲しいというような話が出ても、
なぜか払う義務が生じるかについての意見が出ない。
何せ皆がみな払うものだという、
歴史の呪縛から逃れられない様子であった。
私はついにその時、
溜まったフラストレーションが爆発してしまった。
そしてはっきりこう主張した。
私にとってのこの神社は、
年に一回のお祭りで、
屋台を楽しむぐらいの価値しかない。
そちらが私を氏子と呼ぶのは勝手だが、
こちらにはその意識も、
氏子にして欲しいと頼んだこともない。
なのに、突然に寄付金というのに割当金額が決められ、
しかもなぜそれだけ多額なのかが判らない。
寄付金というからには、
その金額はこちらの裁量で決めるべきものだと思うのだが・・。
恐らく神主が正面切ってこんな言葉を聞いたのは、
神主になって初めての経験のようであった。
しかし目を白黒している神主の前で、
予想以上の拍手が沸き上がってしまった。
私とて神社の存在を否定するつもりはなかった。
ただ頭ごなしの寄付金徴収は、
生理的に許容できなかったが故の発言であった。
とはいえ私の発言のあまりの効果に、
私自身ほんの少し面食らったのは確かである。
言い過ぎたとは思ったが、
こうなってしまってはもう後へは引けない。
その場で話を詰め、
各自金額は自由という事で結論を得たのだった。
その結果、町内の各戸の寄付金は、
結果として十分の一から百分の一程度になったが、
神社の申し出に従う氏子も何軒かはいたようであった。
神主には申し訳ないことをしてしまったとは思う。
だがしかし、私のあの時の主張は正当だったと、
私は今でも信じている。
人は往々にして地位に胡座をかき、
この神主のように、
自分が拘っている組織の人間の、
個々人の心に配慮する気持ちを失ってしまう。
これが寄付と云いながら、
桁外れの金額を提示した大きな要因だったと思われる。
今の官僚たちの行動様式を見ていると、
時々この神主の姿とオーバーラップしてしまう。
やはり国民が、
その一人一人が、
彼らの方法論や行動の間違いに気が付いた時点で、
その根拠の説明を求め、
彼らにことの是是非を問い質すという態度が、
これからのこの国には必ずや必要かもしれない。
そうしないと、
曖昧な理屈で税が徴収され、
福祉といった国民が必要とする政策を素通りして、
いかにも当然といった顔で、
彼らにとっての神社と思える、
不要な道路やダム建設にその税金が回されてしまう。
駄目なものは駄目!と発言することが、
この日本という国には、
必ずや必要なのではないかと思っている。

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